人だかりのさいたま新都心。その格好は様々であったが、多くの人はオーバーサイズの半袖短パンにバンダナのスタイルであった。そう、今日はビリー・アイリッシュのライブが開催されるのである。アーティストの格好を真似するファンの構図というのはよくある話ではあるが、彼女のファンはより一層その傾向があるような気がする。男女そろって皆ビリー、なのである。改札をすぐ出たところには、今回のツアー「HIT ME HARD AND SOFT TOUR」のポスターがずらりと飾られている。ビリーはさいたま新都心駅の構内アナウンスを実施しているようであるが、一体どこで……と思っていると、何やらそれらしきアナウンスが聞こえてきた。「JR東日本、さいたま新都心駅をご利用の皆さん、こんにちは、ビリー・アイリッシュです… 一緒にライブを楽しみましょう!」
あまりにも流暢かつ日常に溶け込むような声だ。期間限定などと言わず、ビリーがずっと担当してほしいと思ったほどである。ビルの合間を抜けて、会場に近づくにつれ、若い熱気の密度が高くなっていく。彼らは誰もが皆、真夏の強烈な日差しを跳ね返す程の輝きを体中から放っている。その照り返しと、さらにはアスファルトからの照り返しのダブルパンチをもろに食らい、筆者は一刻も早く会場内を目指した。中に入り、半ばフラフラになりながらコンコースを進んでいると、給水スポットが目に入った。ちょうど水を切らしていたところであったからありがたかった。
「さぞかし暑かったでしょう、水でも飲んでくださいませ……」
たちまち女神のようなビリー・アイリッシュの声が聞こえてきた、ような気がした。——無論、そんな声が聞こえてきたら、病院に行くのが賢明な判断である。
ちなみにこの給水スポットはプラスチックを削減するためのサステナブルな取り組みなのだとか。筆者も行列に並んだ。何の変哲もないステンレスの水飲み場にビリー・アイリッシュのツアータイトルの布が装飾されているだけなのだが、それだけで何だか特別なことをしているような気になってくる。サステナブルなんて所詮ファッションだ。いやはやファッションだって何だって良いではないか。そのすぐ近くにはREVERB Eco-villageという非営利団体に関するブースがあった。これはビリーがパートナシップを結んでいる環境保護を目的とする団体で、今回のツアーでも温室効果ガスの排出削減、使い捨てプラスチック廃棄物の削減、気候変動対策の支援諸々、さらには植物由来食品、いわゆるヴィーガンメニューの販売もしているようだった。駅構内のアナウンスを担当した経緯もおそらく自家用車ではなく可能な限り公共交通機関を使ってほしいという意味合いでサステナブルな取り組みの一環であり、どこまでも徹底していると思った。なお、先ほど水を入れた場所は"給水スポット"などという安直な名前ではなく、REVERB Water Stationというらしい。REVERB Water Station——。物は言いようである。それだけで埼玉県産の水道水が美味しくなったような気がする。水を飲み、おかげさまで先ほどまでのビリーの幻聴の消えた筆者は、意気揚々と会場内へ入ったのだった。
今日のさいたまスーパーアリーナは中央にステージが設けられた、いわゆるセンターステージモード。スクリーンには、ビリー・アイリッシュのソーシャルな取り組みを紹介するプロモーション映像が延々と流れている。今度の声は幻聴などではなく、本当にビリー本人のナレーションであった。200レベル、1Fスタンド席中段からはステージがよく見えた。アリーナ席には既に多くの観客がその時を待っていた。——と、ここまで書いてきて、今日の目当ては藤井風であった。さかのぼること数か月前、このライブがアナウンスされたときのこと、その日程を見て唖然とした。というのも日程がSUMMER SONIC 2025と同じ日程であったのである。基本的にフェスが開催されるときというのは、日程被りを避けるのが常套であるがこの始末。「コイツ、やりやがったな」である。音楽シーンを盛り上げていこうという気概が微塵も感じられない体たらく。今年のヘッドライナーはビリー・アイリッシュであると予想していた矢先、まさかこのようなオチになるとは思いもしなかった。
そんなわけで勝手に腹を立て、敬遠してしまっていたこのライブであるが、サマソニの方と天秤にかけたときに一気にビリー側に傾く事態になったのは、ライブが開催される数日前のこと。1日目にYOASOBI、そして2日目に藤井風がオープニングアクトとして出演することがアナウンスされたのである。正直言ってアナウンス前の売り上げは、好調とは言えないものだった。チケットは売れ残り、リセールサイトには定価以下のチケットが次々出品されていた。フェスでは観たいが、単独で行くほどではない——。筆者に限らず、多くの人がそうだったと推測される。何といっても先に書いたようにサマソニと日程が被っていたことも大きい。それが一転、オープニングアクトの追加発表がされた瞬間、公式チケットサイトでは「〇」だったチケットの販売状況が軒並み「△」になったのである。特に2日目は恐ろしいくらいの勢いで売れていく——。この壮絶な争奪戦で何とかチケットを入手した筆者。入手の刹那、沸き立ってきたこの気持ちはなんだろう。この気持ちはなんだろう。それは——存在しなかった世界線のサマソニに行く高揚感だ。
17時ちょうど、会場内が暗転する。それと同時に一斉にスマートフォンの明かりが点灯し、場内は無数の光の点の集まりに様変わりした。観客のどよめきを切り裂くように、インストゥルメンタルが流れる。ロバート・マイルズの「Children」のような、クールさの中にミステリアスをさりげなく散りばめたようなピアノのフレーズを起点に、まずはベース。それからドラムがビートを刻んでいく。どうやら打ち込みではなく、生のサウンドだ。それぞれのアンサンブルによって徐々に熱を帯びていく楽曲は、1990年代のアシッド・ジャズのような体裁に落ち着いていく。夜の高速道路、流れていく連続的な光を想起させる音の色とスピード感。さいたまスーパーアリーナが瞬く間に"夕方"から"夜"の空気に変わっていくのが分かる。しばらくすると、会場の隅、ステージに続く通路。「×」の交点をセンターステージとするなら、その左下の通路の方から、藤井風がスタッフの誘導灯に照らされながら歩いてくるのが目に入った。藤井風は、この世に本当に存在していた。『もののけ姫』に出てくる人々がシシ神を見た時というのはこんな感じだったのだろうか。狂乱一歩手前の悲鳴と共に、スタンディング席の観客は、まるで砂鉄が磁石に吸い寄せられるように、一斉に群がっていく。 インストゥルメンタルの終盤では随所に「まつり」をモチーフにしたフレーズがビートの合間に滑り込んでいき、1曲目の期待を直感的に増幅させていく。いよいよ、藤井のアクトの幕開けである(続く)
