三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

Oasis Live '25 来日公演の記録Ⅲ——高架下より愛を込めて

水道橋駅東口、14時半。東京ドームのお膝元。ここでは、Oasisのチケットを巡った戦いが繰り広げられていた。戦いといっても何のことはない、
「Oasisのチケット1枚お譲り下さい」
そう書いたボードを胸の前に出し、声をかけられるのをただひたすら待つだけである。オリーブグリーンのオイルド・ジャケットを羽織り、黒いバケット・ハットを被った筆者の格好は、奇しくも似非リアム・ギャラガーであった。筆者の他には20人ほどおり、改札の前や高架線下、さらには道路沿いの駐輪場など思い思いの場所に散らばっていた。改札から淀みなく人が流れ出てくる。とんでもないくらいのインプレッション数にもかかわらず、誰一人として声をかけてくる者はいなかった。ほとんどの人は0.5秒ほどボードを見つめ、状況を察し、目的地へと去っていく。だがその何気ない所作が連続し、重なっていくと、得も言われぬストレスがのしかかってくるのであった。

 

そのほとんどはスルーであるが、このチケット乞食一団に対して興味ともつかない感想のようなものを呟く人々の姿があった。とある女子高生御一行は、
「え、何なに?今日なんかイベントやってんの?」
と懐疑的な目で見つめ、またとあるスーツ姿の男性は後輩と思しき男性に、
「ほら、まだこんなことやってる人いるんだ」
などと動物園の珍獣を眺めるかのような目で一瞥してくる。そして、トラックジャケットを身に纏った、大学生くらい、あるいは社会に出たばかりの風体をした若者は、
「今からは絶対ムリムリ!いやーマ、ジ、で、当たって良かったわー」
とわざと聞こえるような声で煽りを入れてくる。さすがにこれには堪えた。耐えられないほどの精神的な苦痛である。ストリートで勝負をするというのはここまで大変だったのか——。

 

ストリートといって思い浮かぶといえばスケートボードでも弾き語りでもなく、新興宗教と思しき人々のビラ配りである。駅前。富士の写真に「日蓮大聖人の仏法」という見出しがあしらわれた新聞のようなものを配っているアノ人々である。なぜ具体的にその表紙が分かるのかというと、一度貰ってみたことがあるからである。積極的に貰おうという人がいなかったのか、
「すみません、下さい」
と筆者が駆け寄った際は、逆に面食らった様子であった。彼だったか彼女だったかは忘れたが、その際悩みの一つや二つでも聞いてやれば良かったのかもしれない。そんな彼らの気持ちが少しだけ分かったような気がする。チケット乞食の場合は、その目的は爽やかなものであるが、宗教となってくるとどうしても怪しいイメージが付きまとうものだろうから、その苦痛はよりハードだろう。

 

ちなみに彼らの場合は、その布教が目的ではないというのをどこかで読んだことがある。自分が信じているものにもかかわらず、道行く人々に冷たい目であしらわれる。そうすると人はもれなく否定され、心に穴が開いたような気分になる。そんな人々を、宗教が優しく出迎え、包み込んでくれる。つまりこうすることで教団に対する帰属意識が高まるのだとか何とか。嘘か誠か、真実は実際に入信してみなければわからないが、あいにく筆者には音楽という強大な信仰があった。勧誘された際は丁重にお断りさせていただく。あるいはいっそのこと、新興宗教Oasisなるものを立ち上げ、布教活動でもすればよかったか。そうすればこの日来る5万5千人のうち一人ぐらいは教義に共鳴し、何かの手違いでチケットを譲ってくれたかもしれない。無論、その教祖が今日、東京ドームに発現しありがたいロックンロール説法をすることになっていた——。

 

そんなこんなで、この人波に対してはもはや無我の境地になるしかないのだと結論する。瞑想一歩手前の状態で、目の前の人々に何も意味を持たせない。視線からぼんやり焦点を外し、その服装だけに注目してみることにする。通り過ぎる人々はおおよそ7割くらいが何らかのOasisのグッズを身に纏っており、特に、adidasとコラボレーションしたトラックジャケットを着ている人が多く散見された。背には地球儀マークにOasis Live '25のフォントがあしらわれていて、非常に印象的なデザインである。確かにデザインはかっこいいのかもしれないが、このシルエットなら90年代の古着のトラックジャケットの方が良いと思ってしまった天邪鬼がここに。筆者のような似非リアム・ギャラガーのような格好の人間を探してみたが一人もいなかった。どこもかしこもadidas、adidas、adidas。いっそのこと、このグッズを纏った人を集め運動会でもやったらどうだ。Oasis高等学校ロックンロール学科、授業で覚える単語はもちろんファッキンのみ——。そもそもOasisはどちらかというと、マンチェスター・シティ繋がりで、UMBROのイメージの方が強かった。

 

時間がただ過ぎていく。あれだけ恥ずかしく、痛かった視線も不思議なことに気にならなくなってきた。突然、声をかけられ、瞑想状態のシャボン玉がパンッと割れた。声の主は薄ら笑いを浮かべた脂ぎった中年男性であった。
「VIP席あんだけど、いくらで買ってくれる?」
この聞き方ですぐに分かった。いわゆるダフ屋というやつである。彼らはチケット不正転売禁止法が施行されたためか、以前よりもめっきりみなくなったが、さすがにOasisともなると、どこからともなく情報を聞いてやってきたのだろう。
「そうですね、10万なら……」
そのように言うと、
「まあまあまあ……」
などと曖昧な返事をして颯爽と消え去って行ってしまった。そもそも今回はチケット料金が高かった。ここ最近の海外のアーティスト相場はSS席で、17,000円から高くても22,000円くらいであった。ところが今回は破格の33,000円。例えば15,000円のチケットが倍になったら30,000円。百歩譲ってこれはまだ買えるが、出発点が33,000円のチケットとなると話は違ってくる。当たり前であるが倍ならなんと66,000円。そしてVIP席はSS席の定価のさらに倍以上75,000円ときた。10万円で買えるわけがなかったが、そもそもこんな法外な値段で買う人間もいないだろう。まさに坊主丸儲けならぬギャラガー丸儲け。ワーキングクラス・ヒーローのらしからぬ儲けっぷりではないか。

 

そんなことを考えている間にも刻一刻と時間はすぎていく。改札の前でフライドポテトのぬいぐるみを被っている男も、ビニール人形のようにうねうねとアピールする夫婦も、はたまた道行く人々すべてに頭を下げ、思わずチケットを譲ってしまいそうになるおじさんも、依然としてそこにいた。そこにいる、ということはチケットを手に入れることはできていないということになる。筆者が見た限り、東口でチケットを譲り受けた人はどうやらいないようだった。これでは(らち) が明かないと判断し、東京ドームの方に近づいてみることにする。飲食店やコンビニエンスストアが立ち並ぶちょっとした広場に差し掛かると、ここにも、いた。そして、どうやらここが、チケット乞食が生息可能な限界地点であるようだった。これ以上東京ドームに近づくと、警備員に注意されるのであった。なぜ知っているのかというと、それをやったからである。

 

筆者は、戦場を西口に移すことにした。霧状だった雨粒はだんだんと大きくなってきた。西口。思いの外、人はいなかった。例によってボードを掲げた直後、動きがあった。なんと目の前の女性が、駆け寄ってきた女性に声をかけられたのである。どうやら彼女はダフ屋ではなさそうである。小声ではあったがこのような会話が聞こえてきた。
「チケット一枚だけあります」
「ホ、ホントですか⁈」
失踪していた人が見つかったときのような切実なトーンであった。
「ちょっとそちらへ……」
そのまま2人はどこか裏道の方に消えていった。途端にボードを持つ手に緊張が走る。これは、もしかしたらあるかもしれない。灰色の雲から一筋の光が差し込んできた。(続く)

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