三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

Oasis Live '25 来日公演記録Ⅰ——酸っぱいブドウ

「酸っぱいブドウ」という話がある。あるところに一匹の腹ペコなキツネがいた。お腹をグーグー鳴らしながら歩いていると、突然ブドウ畑が現れた。まさしく神の恵み。朦朧とした視界でブドウをみてみると、ルビー色に輝く実はミチミチに詰まっており、実に美味しそうであった。キツネは一心不乱で背伸びしたりジャンプしたりして、何とかしてブドウにありつこうとする。ところが、健闘虚しく葉をかすめるばかりで、ブドウを取ることができない。
「ハッハッハッハッ……」
イヌ科の動物特有の息遣いが段々と荒くなってくる。
「よーし……ハッハッハッハッ、これが……ハッハッ、最後……ハッハッ、だ……」
決死の跳躍はこれまでで一番の飛距離を出したが、それが裏目に出た。前脚に蔓が絡まりそのまま背中からズドンと落ちたのである。なんという屈辱か。
「あゝサルはいいよなぁ。俺もサルみたいにスルスル木を登れたらなぁ。それに比べて俺なんて、ただピョンピョン飛び跳ねることしかできないじゃないか。そもそも、あんな高いトコになっているブドウなんて酸っぱいに決まっているサ——」

 

好ましくないことが発生した際、自己を正当化するために、当初の好みや予測をすり替えるというのがこの「酸っぱいブドウ」の寓話である。2025年10月、例にももれず筆者もこの状況に陥っていた。ここでいうブドウとはイギリスのロックバンド、Oasisであった。Oasisといえば昨年2024年、15年の時を経て再結成を発表し、世界中のファンを震撼させた。そう、もはや歓喜を飛び越えた震撼なのであった。——このニュースを15年前の自分に聞かせてやりたいね。でも絶対信じないだろうな。こんなことはあり得ない、なんてクレイジーなんだ!って言ってギターを投げつけられるかもしれないよ、ハハハハハ——。彼らの再結成はつまるところ、ギャラガー兄弟の和解を意味する。兄ノエル・ギャラガーと弟リアム・ギャラガー、両者の不仲はある意味伝統芸能の領域であったが、人生も折り返し地点に差し掛かると、人間誰しも丸くなってしまうのだろうか。あるいはニッポンのOasisこと、おぼん・こぼんの某バラエティ番組での企画に触発されたのだろうか。少なくとも後者はないと思われるが、棣鄂(ていがく) 之情*1あるいは、兄弟牆(けいていかき) (せめ) げども外其(そとそ) (あなどり) (ふせ) *2などという兄弟にまつわる言葉がしみじみと駆け巡る。

 

再結成ニュースだけでもこの盛り上がり様であったが、ワールドツアーが発表され、日本もその開催地に選ばれると音楽シーンはさらに熱を帯びていく。会場は東京ドーム、日程は2日間。キャパシティを計算してみる。5万5千人が2日、約11万人——。少ない、少なすぎる。16年間、Oasisに飢えた人間が全国津々浦々から集結するのである。その間お互いソロでは幾度となく来日しているが、Oasisとなると話が違う。1足す1は2ではなく、10になるという、胡散臭い自己啓発書紛いのトンデモ論がまかり通ってしまうのである。円安効果で海外からの刺客も殺到するだろう。なお、彼らと同世代のバンドにも一応ドームクラスのアーティストはいるが、決定的に違うのは20代から30代の層の厚さだ。その来日公演をリアルタイムで体感した世代だけではないのである。日本において1970年代、あるいは80年代にデビューしたバンドの影響といえばThe Beatlesであるが、1990年代後半、さらには2000年代のバンドはOasisからの影響が大きい。くるり、ASIAN KUNG-FU GENERATION、[Alexandros]——。その音楽を聴いてきた世代がちょうど20代、30代なのである。さらには音楽だけではなく、昨今の90年代のファッションリバイバルをきっかけに、Oasisを知った層も見逃せない。

 

これら様々な層が幾重にも重なり、はたまた交錯しながら11万枚というチケット巡る血みどろの戦いが繰り広げられる——。なおライブレポートではなく、こうした戯言をつらつら書いていることから既に察せられる通り、筆者はかかる争奪戦に見事に敗れた。その瞬間から高所のブドウを羨望と嫉妬の色で見つめるキツネになったのである。えーっと、2025年の10月25日と26日は永遠にやってきません。もう、何言っているんですか、24日のあとは27日ですよ。その年は公転のズレの影響で閏日が例外的に発生するんです。だからOasisの来日公演は開催されません、いや、開催されないというかそもそも、その日が存在すらしていないと言いますか。え?Oasis?何言っているんですか、Oasisは再結成なんてしていませんよ。まったく、冗談はよしてください。まだあんなニュース信じているんですか?あれは音楽ファンが作り上げた空想で、それをGoogleが誤検知してAIによって生成されたフェイクニュースなんですよ、あはははは。

Oasisの来日公演なんて ないさ
Oasisの来日公演なんて うそさ
ねぼけた ひとが
みまちがえたのさ

「Some Might Say(サム・マイト・セイ)の都政の部分」

「Don't Look Back in Anger(ドント・ルック・バック・イン・アンガー)のつくばの部分」

【存在しないエレカシの男シリーズ】

Oasisのチケット抽選に全落ちした男/エレファントカシマシ

 

Oasisのチケット落選という強烈なトリガーにより人格破綻し、なにやら妄言を呟くbotと化してしまった筆者。もはやキツネどころの騒ぎではないが、ダメ元でアクセスしてみた某チケットリセールサイトでふと我に返る。説明欄。用事が入っていけなくなりました——。1年後のライブである。アンタの用事ってのはOasisのライブじゃあないのかよ。A席、6万円。お値下げはご遠慮願います。いわゆる転売ヤーというやつである。まったく、馬鹿げている。んなわけねえだろボケカスが、などという『ガンニバル』の阿川大悟張りの言葉はあまりにも汚すぎるので慎むことにする。無論、こういった暴言を常日頃から口に出しているから、筆者は当選しなかったのである。なお、転売ヤーの言葉遣いは揃いに揃って上品極まりないものであり、チケットの神は容易に騙されたということになる。信心の大小などここでは一切関係がないのである。チケットの神は言葉遣いに厳しいだけのマナー講師紛いの成れの果てだった。

 

怒り心頭により正常化した脳内が導き出した結論は、どうやらOasisのライブは本当に開催されるらしいということであった。そうこうしている間に、ツアーは華々しくスタートし、「Acquiesce」のプロショットのショート動画がYouTubeに投稿されるといよいよ現実味を帯びてくる。リアムの歌声は絶好調以外の何者でもなく、そこにノエルの歌声が遺伝子レベルで絡み合っていく。オープニングでは兄弟はなんと手を繋ぎながら登場し、最後には抱擁までする仕末。絶対にあり得ないと思っていたシーンが画面上で連続するカオス。演奏、ステージング、さらには観客の盛り上がり、どこを取ってみてもこれまでの彼らのキャリアにおいて最高のライブであることは確かであった。けれども行くことは叶わない。この事実に愕然とし、転売ヤーしかいないライブなんてつまらないに決まっているサという謎理論を展開する体たらくであった。自分と同じ境遇の人間を探そうと、Oasisファンの友人に連絡してみると、
「あらぁスミマセン、アタクシは当たってしまいましたワ。おほほほほ」
などと返ってきた。朗らかである。もしその場にいたら思わず取っ組み合いの喧嘩になっていたに違いない。そもそも、SNSなど見ているのが悪いのだ——。そうして筆者はOasisにまつわる一切合切の情報を遮断したのであった。(続く)

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*1:仲が良く美しい兄弟の情のこと。「棣」は庭梅、「鄂」は花のがくの意。庭梅の花はがくが寄り添って美しく咲くことから。

*2:普段は兄弟仲が悪く、ケンカが絶えないが、ひとたび外部から侮辱や侵略を受けたときは、心を合わせて戦うことをいう。「牆」は垣根、「鬩」は争いの意。