彼は無理だと思ったことは始めから諦めるタイプの人間であった。ここでいう彼とは筆者の友人のEのことである。このブログにも度々登場する男*1であるが、彼もまたOasisのチケットを求めていた。筆者同様、チケットを手に入れることは叶わず、挙句の果てに
「あれはね、転売ヤーしか当たんないチケットなんですよ。本当のファンには当たりませんよ。悪い奴らばっかっすよ。みーんなコネで買ったり貰ったりしてるんですよ。"コネチケ糞野郎"ですわ」
という捨て台詞すら吐く始末であった。ストリートでチケット乞食をするという突拍子もない行動計画に対しても、
「いやいやいや、そんなアナログなやり方、絶対無理ですって!」
などといっていた。そんな彼に、先ほど目の前で起きた顛末について連絡してみた。
「今、チケット乞食やってますがつい先ほど、目の前の人がチケットゲットできたようです。水道橋駅、西口です」
すると数分後、
「電車乗りました。水道橋向かってます」
と返事が返ってきた。彼は諦めこそ早いが、一度やると決めたことに対する行動力は人並み外れたものがあった。何しろMUSEの来日公演に銀色の全身タイツで挑んだ男*2であった(ちなみに重要なのはその格好で最寄りの駅から会場まで来たというところ)。
しばらくすると、どこからともなくダフ屋が現れた。60前後と思われる、メガネを掛けた中年太りのおじさんである。道ゆく人々に
「チケット、余んない?」
という言葉を繰り返し呟く。無駄のない洗練された言葉は、たちまち雨に溶けてゆく。やがてこちらの方にてくてくと寄ってきて、
「いつから待ってんの、雨なのに大変だね」
などと声をかけてくる。笑顔であったが、その目の奥は笑っていなかった。話を聞いてみると、この日のチケットはほとんど出回っていないのだとか。VIP席はあるというが、定価の倍以上の値段であるという。普通のVIP席の価格なら百歩譲って買ってしまっていたかもしれないが、今回定価が既にぼったくり価格の75,000円であった。だから150,000円ということになる。それでもリセールサイトに出品されている20万やら30万などという高額転売チケットよりはまだ優しい値段ではあった。
「チケット余んない?……余んない?……」
雨の中、この言葉だけを道ゆく人にひたすらに繰り返している。しばらくするとその呪文に引き寄せられたかのように、少々強面なおじさんが現れた。短髪で身体にぴったりと張り付くような黒のダウンジャケットを着ている。無論、さきほどからいるおじさんの仲間のようである。
「どうよ?やっぱり人気あんだねこのバンド、もう全然さっぱりだよ……。チケット余んない?……」
このおじさんもまた同じような呪文を唱える。これはダフ屋業界の共通の言葉なのだろうか。
突然、背後から何者かが近づいて来る気配を感じ振り向いてみると、Eがいた。手に持っているボードには急ごしらえの殴り書きで
「Oasis チケット譲ってください どうかお願いします」
と書いてある。Eはあちらこちらを行ったり来たりしながら、アピールを続けている。何せじっとしていられない性分なのである。我々のアナログな行いに興味を持ったのか、強面の方のおじさんが再びこちらにやってきた。
「お兄さんたち、辛抱強いね。ここまでチケットが出てこないのは初めてだよ」
と言っていた。最近のライブ事情やら、海外のアーティスト事情やらについて話していると、だんだんと饒舌になってきた。聞くところによると、このおじさんは30余年の間ヤクザをやっていたが足を洗い、こうしてダフ屋をしているのだとか。
当時のことについて聞いてみる。
「まあ、いろいろだよ。もちろん人を撃ったりすることもある。そういう瞬間は任侠映画みたいに、大っぴらな場所ではやらない。じゃあ、どこでやるかって?それは車。車ん中で、腹に拳銃を押し当てて、パン」
そう言っておじさんは指を拳銃の形にした。
「で、そういう時は弾を残しちゃいけないんだよ。そう、ある種の美学ってのかな。もう死んでるのが分かってるのに全部撃ち込まなくちゃいけない。そうしないと、お前何弾残してんだよって言われんだよあの世界は」
急に物騒な話である。こんなん『アウトレイジ』じゃないっすかという至極当然のツッコミをするが、無論相手は本物であった。ヤクザといえばお馴染み"指詰め"であるがそれについても聞いてみた。
「俺は真面目だったから、指は全部残ってんだけど、ほら、あっちのおじさんは小指ないんだよ」
先ほどのメガネの中年のおじさんである。そう言われなければ、本当にその辺のおじさんにしか見えないが、一体あちらの世界でどんなへまをしたのだろうか。
「よく任侠映画かなんかで手拭いを『イ゛ー』って嚙んで包丁で切るやつやってるけど、実際あんなことはしない。介添えしたことあるけど、あれは、ノミでストンとやって落とすんだよ」
彼らの業界では指を"詰める"ではなく"落とす"というらしい。
「落とす指の根っこを輪ゴムかなんかで止めてさ。そうして何分すると血がたまってくるだろ。で、指の感覚が無くなってくる。そうなったらまな板の上に乗っけてノミでバンッ!」
そういいながらおじさんは手刀を振り落とした。今は少なくなってきたというが、それでもこういう風習はまだ残っているのだとか。
雨は相変わらず降ったり止んだりを繰り返している。開演が近づいてきたせいか、道行く人はどんどん増えてくる。しかしながら、依然としてチケットにありつけない筆者とE、そしてダフ屋のおじさん達。そうなってくると余計に立ち話に花が咲いてしまう。
「まあ、こんなこと言ってるけど、俺はただの遊び人だよ——」
そのように卑下するが、その表情はどこか誇らしげでもある。
「どうやって仕事を得るのかって?そりゃもっぱらキャバクラだよ。そこで仕事を貰って、またその金でキャバクラに行って。よくいるだろ?『俺は遊び人だ』ってやつ。でもホントの遊び人ってのは俺みたいなのをいうのよ」
江戸の頃の博徒のような生活をしている人が現代においてもまだこうしてはっきりと残っているということに一抹の感動を覚えた。何が不動産投資だ、何がタワマン住みだ。東京人、ひいては江戸っ子であるなら黙って、こういう生活に回帰すべきなのではないか——。
「兄ちゃんたち、まだまだ若いでしょ。これからなんだってできるよ。俺はもうこんなことしかできないんだから——」
すると隣にいたEは、
「いやーおじさんねぇ、そんなことないっすよ。俺、死にたいんすよ」
と突拍子もないことを言い出した。彼は相手がどんな人であろうとそのようなことを言い出す人間であった。とは言っても別に気を衒っているとか、そう言うものはなく純粋な想いであり、どこまでも切実であった。
それが何となく伝わったのか、おじさんは急に真面目な顔になってこう言う。
「お兄さん、死んだら絶対ダメだよ」
おじさんは続ける。
「知り合いに自殺したヤツがいてさ。そいつの家の仏壇に線香あげに行ったんだよ。それで、一緒に来てたやつがものすごく霊感のあるやつでさ。そしたらその人がなんて言ったと思う?先祖の顔が見えたんだけど、みんなすごく穏やかでいい顔してる。ところがいつだけどんよりして、それこそ本当に地獄にいるみたいな顔してたんだってさ。それ聞いたときに思ったよね、変な死に方はしたくねえなって。だからさ、死んだら絶対にダメだよ」
神でも仏でもないが、このおじさんはきっと天国に行けると思う。かつてはヤクザとして悪いこともやっていたと推測されるが、今こうして一人の死にたくなっている男を激動している。あるいは始めは地獄かもしれないが、慈悲のある天上界の仏が間違いなく蜘蛛の糸を垂らしてくれるはずである。
「俺なんて、ろくでもない人生だけどさ、何とかこうして生きてんだよ。クレジットカードだって保険証だって作れない。もちろん携帯電話もそう。マンションだって借りられないんだから。それでも何とかやってるんだから大丈夫!」
本当に心から彼を心配しているそのトーンであった。おそらくこれまで様々な修羅場を経験してきたであろう元ヤクザから、真面目に死ぬなと励まされている。命の重みに対する説得力が違う。「いのちの電話」は暴力団関係者がやった方が説得力があるのではないか。無論、そうすると別の問題が発生するか——。いやはや、Oasisから「Live Forever」などと言われる前に、ダフ屋のおじさんに「Live Forever」と言われてしまった。水道橋駅西口、夕方5時半、チケットはまだ一枚も出ません。(続く)
