『竹取物語』に登場するかぐや姫は、やっぱり未確認生物のたぐいであると思う。もちろんそんなこと、学校の授業では習わない。どこまでも妄想である。かぐや姫は、キラキラと光を放ちながら竹取の翁(おじいさん)を導き、自分の体を切られない位置で、うまい具合にパカンと割らせる―。
このおじいさんがかぐや姫を発見せずに、あるいは恐怖のあまり逃げ出してしまったらかぐや姫はどうなっていたのだろうか。やはり、何らかの力で「おじいさん、私を助けて。私は一番光っている竹の中にいるわ」みたいにテレパシーを送って、誘惑をしたに違いない。「な、なんと。わしに語り掛けてくるのは誰だ」。おじいさんは突然、プロフェッサーXのように脳内に直接語り掛けられてびっくりし、恐れおののいてしまう。かぐや姫は「わたしは決して怪しいものではありません、どうか驚かれずに」などと念を押し、その場に踏みとどまらせようとする。
この時代の主人公たる人間というのは、情に弱くてなくてはいけない。そして、弱っている人を助ける。情けは人の為ならずですよ、ということを読者に教えなければならないのだ。かぐや姫の決死の念押しに、何とか逃げずに踏みとどまったおじいさんは、例によって「それはそれは、大変だ、早く助けてあげよう」という心情に至り、竹の中にいるかぐや姫を助け出すのだった。なんという勇気、そして正義感の塊、主人公はこうでなければ始まらないのだ。
すでに常軌を逸した冒頭部分。暗闇の中に現れる光というのは、不思議なものを演出するのに持って来いのものだ。暗闇の隙間から、光が漏れ出ているのを見ると人は驚きとともに、高揚感を覚える。映画の、視覚効果でもこの手法がよくつかわれている。おじいさんと、未確認生物との出会い。夜でも光で満ち溢れた現代においても、そんな場面に遭遇すると驚くんだから、1000年以上前の人だったらなおさらだっただろう。
かぐや姫は、おじいさんとおばあさんに丁寧に育てられるが、その成長のスピードは、異常。なんと3か月ばかりで、成人ぐらいの大きさになってしまう。こうなるともう人間ではない。よくよく考えれば、竹から生まれた時点で人間ではないのだ。彼らはその成長っぷりに驚きはしなかったのだろうか、あるいは作品の都合上の暗黙の了解なのか。少なくとも「じいさんや、今日は娘が家に来てから何日目でしたっけ。忘れてしまいましたわ、おほほほほ」みたいな、オチにはなってほしくはない。
かぐや姫はその美貌から、帝たちから求婚を幾度となく迫られるが、無理難題を出し続け、帝たちは散々な目に合う。嵐に呑まれる者もいれば、梯子から転落死する者、偽物の宝玉を作ったまではいいものの、労働争議を起こされてウソがばれてしまう者までいた。ここで、困難に打ち勝った帝のだれかと結婚をして、「私、月に帰らないといけないの」などという、悲しい別れを告げるみたいに終わらせても面白いではないか、なんて思ったけれど、それはあまりにもロマンチックすぎるか。後の祭りである。
そもそも、かぐや姫はなぜ月から地球へ、しかも竹藪の一本の竹の中に封じ込まれなければいけなかったのか。記憶は不確かであるが、かぐや姫は月で罪を犯したためであったような気がする。それでは、マーベル・コミックスに登場する雷神"ソー(Thor)"と一緒ではないか、なんて思ってしまう。というのも彼も、若気の至りでアズガルドの王から反感を買い、おまえは王にふさわしくない、と言われ地球に追放されてしまうからだ。そして、地球でジェーン・フォスターと出会い、恋に落ち、超遠距離恋愛をすることになるのだった。時代は違えど両者、国外追放よりももっと酷な"星"外追放である。なんとスケールが大きい話なのだろうか。
そして、最終的には月へと帰ることになるのだが、そのときの月からの使者が乗っている乗り物はおそらく、金属光沢を放ち、円盤型でくるくると回っていたにちがいない。そんなベタなUFOではなくって、優雅に虹色の橋を渡ってくるというのもこれまた、神話的な雰囲気があるが、ひとまずはSF寄りの解釈でいきたい。三船敏郎が主演だった映画『竹取物語』(1987)でも、月の使者が絵にかいたようなUFOで登場してきて、ええ、マジかよと度肝を抜かされた記憶があるが、どうやら自分は、監督と同じ考えだったらしい。いやはや市川崑監督か、巨匠、なんとも恐れ多い。器が違いすぎる。
ソーは、神秘の力を持ったハンマーを使って地球とアズガルドを行き来するが、もちろんかぐや姫にはそんな便利な代物は持っていない。月から来た未確認飛行物体に乗り、おじいさんの雇った傭兵部隊を横目に、颯爽と帰ってしまうのであった。月からの使者は、おじいさんとおばあさんには、帰り際に置き土産として"不老不死"の薬を渡している。誰もが夢を見る、不老不死。そんなものを可能にする月の文明というのは、地球とは比べ物にならないくらいに、進歩しているはずである。
他の星が話に登場すると途端に、日本の昔ばなしであっても不思議とSF感、そして神話のテイストを帯びる。『竹取物語』の作者は不詳であるとされているが、これもまたなんともロマンに溢れている。他の国の人間が書いたも知れないし、実際の出来事を少し誇張して書いたのかもしれない。もっと言えば人間が書いていないのかもしれない。時としてわからないことが多いものの方が、楽しいこともある。そこから想像をさらに膨らませて、かぐや姫のその後とか、月の世界観とか設定とかも知りたかったりする。実は地球と月だけではなくて、他の星もいくつかあって、それがつながってるみたいに。で、もう一度地球に追放された月の者が地球で悪さをして、それを地球で不老不死の能力を授かった人間とか、超能力を持った仙人とかが、チームを結成して戦うっていう。あ、それって和製アベンジャーズじゃん...!! ということで、そろそろこの記事を終わりにしたい。