三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

オオカマキリと少年Ⅷ——子孫

10月、北国の秋は深まるのが早い。朝夕は冷え始める頃である。少年はいつものように虫取りにいそしんでいた。虫取り網を持って田んぼの方に行くと、アキアカネがの群衆が夕暮れの空に赤い模様を描きながら飛び交っている。稲刈りが終わり、稲穂は行儀よく架干しにされていた。ふと、籾殻の焼け焦げる匂いがしてくると、秋になったと感じる。鼻の奥にツンとくる煙っぽい匂いだ。この匂いは不思議なことに部屋の窓を閉め切っていても感じるのだった。

 

この日も虫を数匹捕まえてくると、水槽からカマキリを取り出し、トンボを与える。カマキリの首を軽くつかんでやると、反射でカマを動かしてくるので、その勢いでトンボを与える。逃げようとするトンボの振動がカマキリにも伝わりブルブルと震えながら、頭の複眼に食らいつく。複眼をいくらか食べ進めると、振動は徐々に収まっていく。今度は頭と胸をつないでいる部分を器用に切り離し、胸を丁寧に食べ進めていく。この状態になってもトンボの腹部はまだ伸縮を続けている。翅の部分は食べ残す。甲虫を与えることはあまりないが、その場合も甲羅を剥がしてその中身の部分を器用に食べていた。カマキリはむやみやたらに食べるのではなく、栄養のある部分を理解していた。

 

カマキリに与える虫は、生きているものでなければいけない。少年が持っている昆虫図鑑のカマキリの飼い方の章には「死んでいる虫でも生きているように動かすと食べてくれる」と書いてあったが、それは最初だけで、すぐにポイっと捨ててしまう。虫の中に存在する水分量だとか、死骸が発する独特の匂いでわかるのだろうか。そもそも死んだ虫を食べるのなら、生きている虫を捕まえるために発達した前脚や、空間認知に長けた眼は必要がないはずだ。カマキリのフォルムは言わば、生きた虫を捕まえるために特化されたものといっても良い。

 

少年のエサやりのルーティンは毎日のように続いた。カマキリの腹は、日に日に膨らんできていた。呼吸をするたびに、膨らんだり縮んだりを繰り返していて、実に重たそうな様子である。もう間もなく、産卵の時期である。交尾は既に済ませているので、あとはたらふく食べて産卵に備えてもらうばかりであった。少年は、夕食を食べた後も、カブトムシの様子を見るついでに、産卵していないかどうかその様子を見に行った。

 

10月のある夜、カマキリの様子を見てみると、水槽の天井部分の端っこにぶら下がるような形でじっとしている。腹部の先端を見てみると、円を描きながら空気を含んだ白いメレンゲ状のものを出している。ついに産卵が始まった。カマキリは泡の中に黄色みがかったジェリービーンズのような形をした卵を産み付けていく。腹部の先端に眼がついているかのような実に器用な動きで卵鞘の形を形成していく。蛇腹状のパーツが折り重なった腹部のビジュアルと相まって、それだけで独立した生き物のようにも見えてきた。少年はカマキリを刺激しないよう、じっとその姿を見つめていた。

 

白い泡は翌朝、クリーム色に変わり、ポリウレタンの断熱材のような質感に変化していた。野生のカマキリのものよりも幾分小さいが、れっきとした卵鞘である。カマキリの腹部は昨日よりもしぼんでいた。腹部の先端には卵鞘を作る際に付いた白い塊がへばりついている。大仕事を果たしたカマキリは、疲れているように見えた。水槽の蓋に産み付けられた卵鞘は、雪がかからないよう温度変化の少ない風除室にそのまま置いておくことにした。生き物の最も大きな使命は子孫を残すことであり、その役目を終えたものに待っているのは死のみである。少年とカマキリの生活は、いよいよ終盤に差し掛かろうとしていた。