三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

悪酔終列車――終電を逃せし男

「お客さん、お客さん、終点ですよ」
ハッと目が覚める。此処は何処――。気が付いたら知らない場所にいた。無論、来るべきではない終着駅のことである。ひとまず車両から出てホーム内を右往左往する。電車に乗る前のことについて思い出してみる。確か――。府中本町行き――その方面の列車に乗ったという記憶だけがかすかに残っている。とするとここは、府中本町駅か。あるいは東所沢駅の可能性もある。終着駅というのは、聞き馴染みがある割に、そこが最寄り駅ではない限り、降りることはほとんどないものである。酩酊する意識の中で、
「次の電車は、南越谷行きです」
という言葉が構内のスピーカーから聞こえてきた。向かいの列車の側面表示には確かに「<各停>南越谷」と表示されている。これだ。――これだ、ではない。乗り過ごした馬鹿が何を言っているのか。念のため付近を巡回している駅員に確認し、その電車に急いで乗る。無論これは幻覚でもなかった。幻覚だった場合、線路に転落していただろう。事実、駅構内の事故はこうした酔っ払いによるものが多いのだという。
「こちらの電車は、本日の最終列車です」
とあと一本遅い電車でここにきていたら帰ることはできなかったということか。無事電車に乗ることができ安堵したのも束の間、スマートフォンのロック画面には23:28という時刻が表示されている。これはまずい。乗換アプリで確認してみる。武蔵野線の南越谷駅から東武スカイツリーラインの最寄り駅までは――南越谷に到着した頃には既に終電は終わっていた。

 

胃の中に入ったアルコールが何度も逆流してきそうになりながら、苦悶の表情で南越谷駅へ到着する。とはいえここはまだ安息の地ではなかった。武蔵野線車内の電光掲示には
「清澄白河駅で発生した人身事故の影響により、東武スカイツリーラインに遅延が発生しています」
といった旨の表示が出ていたため、念のため乗換先の新越谷駅の電光掲示板を確認しに行ったが、無慈悲にも、
「本日の上り列車は終了しました」
という文字だけが表示されていた。歩いて帰るにも1時間以上はかかるだろうし、シラフの状態ならまだしも、飲みすぎてボロボロの状態である。不思議なことにこういう時というのは、運動した後のように決まって全身の筋肉が痛い。いわゆる"急性アルコール筋症"というやつである。歩いたら何らかの問題が生じることは目に見えて分かっていた。両駅の中間にあるタクシー乗り場には行列ができていた。彼らもまた、自分と同じく終電を逃したのだろうか。その表情に後ろめたさはなく、誰もが皆どことなく吹っ切れた表情をしていた。
「もし同じ方向でしたら、一緒に乗りませんか」
などという言葉を列に並んでいる人に声をかけようか、いやそれだと気を遣うかなどしばらく逡巡していると、後ろの方で突然、
「〇〇駅方面の方いますか?」
という声が聞こえてきた。その駅がちょうど自分の最寄り駅のことだったので思わず振り向く。30代後半ぐらいと思しき、髪をきっちりと固めたビジネスマンの男性がその声の主であった。その目的地は自分以外誰もいないようだったので、手を挙げる。自分の挙げた手に気が付いたのか、すかさず後ろの方へ手招きをする。
「〇〇駅ですか?」
「はい、そうなんですよ。自分も同じ駅で――」
「一緒に乗ります?」
「ええ。よかったらお願いします――」
彼は間違いなく勇者である。他方で自分はモブキャラクターであった。

 

「お客さん、どちらまで――」
「〇〇駅(最寄り駅)までお願いします」
車内では、先ほどの経緯について話をする。
「――なるほど、それは大変でしたね。東武線は上り列車の終電が早いですからね」
「ええ、まあ――」
「私も会社の同僚と飲んでいたらいつの間にか終電になってしまって。まあ、ここまで来てしまえばあとはタクシーであっという間ですから。別にそれでも良いやと思ってね。ハハハハハ」
非常に闊達であり、終電を逃したことに関しても、特別な出来事としてポジティブに捉え、朗らかに笑っている――。サウイフモノニ、ワタシハナリタイ。深夜のせいか道は空いていたため、あっという間に駅に到着した。
「あ、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。おかげで安く済みました」
彼は反対側の出口に颯爽と消えていった。

 

駅に停めてあった自転車にまたがって帰る。真っ暗な道路。フラフラなハンドルさばき。再開発のため商店街のあった場所は軒並み更地になっている。この辺にとんかつ屋があったっけ。ここはスナックがあった場所か。がらくたなのか商品なのか見分けのつかないリサイクルショップ屋も無くなっている。突然、思い切りバランスを崩す。衝撃で投げ出される体。受け身を取ったはいいが、腰を強打する。サッカー選手が交錯した時のようにうずくまる。一歩間違えていたら大怪我になっていたところだった。歩道の各所に設置されてあるポールに気が付かなかったのである。その色は、闇夜に溶け込む赤茶色である。全く、忍者の装束で用いられる色を採用してどうしようというのだ。周りには誰もいない。体を起こすために一旦、仰向けの姿勢になる。その瞬間、夜空に満点の星が見えた。アスファルトのひんやりとした冷たさが体に伝わってくる。悪酔い、乗り過ごし、バッドエンド。何から何まで最悪の一日。けれども、エンドロールに少しだけ救われたような気がする。

 

※このお話はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。飲酒してからの自転車の運転は禁止されています。道路交通法・ルールは遵守しましょう。

 

今週のお題「ほろ苦い思い出」