三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

チバユウスケが死んだ日――EとF

E

「Part of the Journey is the End」
2023年12月5日。チバユウスケが死んだその日、友人Eからこのようなメッセージが届いていた。旅は必ず終わる――。アメコミ映画の主人公が確かそんなことを言っていたっけ。無論それは、チバユウスケのことを指しているというのはすぐに分かった。というのもEは自分が知る限り、最もチバに対して強い思い入れを持っていた人物であったのだ。学生時代、彼はチバユウスケの楽曲のコピーをし、本人と遜色ないほどの激情で叫んでいたことは今でも鮮明に思い出される。あれはもはや、コピーの域を越えていた。チバの姿がそこに重なって見えた。友達というバイアス抜きにしても、彼には途轍もない音楽の才能があった。ところが、大学を卒業して以来、音楽活動をしている話は、ぱったりと止んでしまった。風の噂さえ聞こえてこない。彼は今、いったい何をしているのだろうか。そんなことを思っていた矢先に連絡が来たのだった。

 

久しぶりに、Eに電話してみることにする。7回目のコール。出ないと思って、通話画面の赤地に白のキャンセルボタンをタップしようとした瞬間、Eは電話に出た。
開口一番、チバの話になると思ったが、しばらくの沈黙の後、Eの口から思わぬ一言が飛び出てきた。
「……カラオケ行かない?」
「え?」
「カラオケだよカラオケ。いつもの場所、駅前のところ。20時くらいでいいよな」
そう言ったかと思うと、電話はすぐさま切られてしまった。20時を少し回った頃、バイクを走らせ駅前に到着すると、Eはそのすぐ近くにあるカラオケ屋の階段に座っていた。前髪は以前あったときよりも伸びていて、目にかかっている。Radioheadのトム・ヨークみたいな不敵な笑みを浮かべてこちらのほうにやってくる。
「どうもどうも。今年会うのは初めてだから、あけましておめでとうございます、か」
「なんだよそれ。もうすぐ今年も終わりだっつーの」

 

平日のせいか、店内は空いているようだった。Eはチバユウスケのこれまでに作ってきた楽曲を歌っていく。その歌声は、あの頃と変わっていなかった。
「この曲、すごくいいね」
「でしょ。これ、すごく好きな曲なんだよな」
曲の合間に、一言二言話をしているうちに、またすぐに予約されていた次の曲が始まる。こんな風にして交互に歌っていく。それ以外のことは何もしない空間。チバユウスケの歌とファンタグレープの味、埃っぽいエアコンの臭い、真っ暗なカラオケルーム。突然、終了10分前のベルが鳴った。すっかり時間の存在を忘れていた。最後もEはチバの曲を歌っていた。ROSSOの「星のメロディー」。張り上げるようにして歌うその声は、どこか悲しそうだった。そういえば、チバが亡くなったという話はここまでしていなかった。でもそんなことを言わなくても十分に伝わってくる。この行為はきっと、彼なりの追悼なのだ。
「また、どこかで」
これは別れ際のいつもの挨拶。心なしかその声色と表情は晴れやかに思えた。Eは駅の反対側の出口の方へ消えてゆく。外はもうすっかり冬だ。バイクの燃料計の針は、限りなくEに近い場所を指していた。


F

家についてから間もなくEから電話がかかって来た。さっき言ってなかった話が一つあるらしい。
「俺、チバの最後のライブ、観に行ってたんだよね。3月にやったリキッドのライブ。まさかあれが最後になるなんて思わないよね――」
これは運命の巡り合わせか。チバは、その数か月後に亡くなるとは思えないくらい元気に歌っていた。だからEは、ガンが公表された時も、すぐに復帰して、何事もなかったかのように帰ってくるのだと確信していたという。
「別に、チバが死んだからどうって訳じゃないんだけど、あれが最後のライブでもいいって本気で思ったんだよ。それくらいなんていうかな、元気が出たんだよ――」

 

人生最後のライブについて考えてみる――。作品は半永久的に残るのかもしれないが、その作者というものは人間である以上、いつか必ず終わりが来る。チバは2003年、最初の死を迎える。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散。無論、それは音楽的な区切りにすぎない。まだ、生きている。続きがある。あるいはないかもしれないが、その可能性に希望を持つことは出来る。事実、チバは新たにThe Birthdayを組み、これまでに背負ってきた栄光を完全に葬り去った。他方、人生の区切りにおいてはもう続きはない。死んでしまったら、そこで終わり。とはいえその最後というのは案外、ライブを観に行っている人も、さらには当の本人もおそらく気が付かないまま、過ぎ去っていくのかもしれない。人間、死ぬ時というはどんなに優れた占い師でも医者でもピタリと正確に当てることは出来ない。むしろそれを知ることができてしまったら、発狂してしまうはずだ。その瞬間を知りたくないから、今を生きる。人生は現実逃避だ。だから、最後、というのはあくまでも結果にすぎない。その幕切れ(フィナーレ)は映画みたく華やかには行かないのだ。

 

Eとの電話が終わってから、ふと思い出す。
「あ、そういえばガソリン、入れるんだったっけ」
再び外に出てみる。心なしか先ほどよりも冷え込んできている気がする。深夜の誰もいないガソリンスタンド、燃料計の針はEからFに上がっていく。
「チバユウスケは死んだ。でも、世界は今日も平気な顔して回り続ける。大切な人が亡くなってもそれは一緒。で、いつの間にか自分も平気な顔しちゃったりしてさ。でも、知らない間にふと思い出したりする。そんなとき、自分はまだ生きてるって思うんだろうな」
Eがふと放った言葉がリフレインしてきた。バイクにまたがって家に帰る。いよいよ、手袋をはめていても寒くなってきた。

 

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