三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

チバユウスケがいた日――新大久保、ガードレール、チーズハットグ

チバユウスケが死んだ。食道ガンだった。2023年4月、その病状が公表されて以来、一度も表舞台に上がることができぬまま帰らぬ人となった。あれほどのロックスターもガンには勝てなかった。しばらくの間、悲しみに暮れ、何も書くことができなくなった。療養中の7か月の間、一体どのようなことを思いながら生きたのだろう。これまでの人生のこと、おそらくは嗜むことができなかったであろうビールやタバコのこと――。そんなことを考えていると、余計に何もできなくなった。それからしばらくの月日が経って、自分の人生におけるチバを通じた音楽的な経験のページに、これまでとは違った意味合いが生まれ始めたことに気づき始めた。実体的な要素がだんだんと乖離していき、代わりに概念的な部分が太字に強調され始めたのだ。実体を嘆いたところで、チバはもうこの世にいない。この当たり前の事実を理解した瞬間、これまで彼が生み出してきた楽曲がより光を放ち始め、概念としてのチバユウスケがそこに出現したのである。
「お前、やっと気付いたのか。もう大丈夫だ」
概念のチバはそう語りかけてきた。だから今、こうして書くことができている――。

 

チバがまだ実体としてこの世の中に存在していた頃、一度だけその姿をみたことがある。それはライブでも、はたまた取材でもなかった。2021年、初夏の新大久保。友人との待ち合わせ時間よりも、20分ほど早く到着したため、周辺を歩き回ることにした。新型コロナウイルスが流行っているせいか、以前来た時よりも人通りはたいぶ少ない。広い通りを歩いていると、チーズハットグ屋の前のガードレールに、黒い服を纏った数人たむろしているのが見えた。ある人は半袖からのぞかせる肌にはタトゥーがびっしりと彫られ、またある人はネックレスやらチェーン、ピアスやらを衣服から身体からあちらこちらに付けていた。ガードレールのすぐ近くの路側帯には黒色のバンが停まっている。若者やカップルがほとんどの中で、極めて異質な集団であった。その中でも目立って異質だったのは、タトゥーの男でも、アクセサリーを身に纏っている男でもなく、その中心にいる深いハットを被り黒いブーツをはいた男。集団の中で唯一華奢な体つきの男は、一人だけガードレールに腰かけていた。その小さな顔には長い顎ひげが蓄えられており、鼈甲色の大きめなサングラスをかけている。もちろん、マスクなんか着けていない。このただ者ではないオーラを放つ人物に筆者は見覚えがあるような気がした。

 

一度素通りしたが、改めて遠目からその姿を確認していると、徐々に、その見覚えのある姿と、今、目の前に存在している姿とが重なり合ってゆく。しばらくするとその男は、さぞ当たり前のようにタバコをふかし始めた。"喫煙禁止区域"という歩道の看板表示が逆に委縮してしまいそうなくらいの佇まいがそこにはあった。男は、行き交う人々には全くお構いなしといった風情を醸し出している。三日月のようなシルエットの横顔、荒れた肌。ああ、間違いない。これは――チバユウスケだ。田舎の学生の時分から憧れ続けていた、あの"ロックスター"が目の前のガードレールに腰かけている。それにしても、なぜこんな街中に、しかもライブハウスもない新大久保にいるのだろうか。それもThe Birthdayのメンバーではない人たちと共に。自分以外に、チバだということに気が付いている人はいないようであった。思いきって、話しかけてみようかと思ったが足がすくんだ。足がすくむ、という体験はそうそうない。とにかく、怖かったのである。あれはまさしく悪魔のようであった。そもそも、何を話せば良いというのだろう。自分の声に反応してくれるだろうか。そういうマイナスなイメージばかりが次々に浮かんできてしまう。その場を離れてからそのように逡巡し、再びそこに戻ってきたときには、その姿は、黒いバンとともに消えていた。

 

――まさかあの時が最後になるとは思いもしなかった。結局、ライブに行くことも叶わなかったから、実体のチバユウスケをみたのは正真正銘あの時が最初で最後である。当時の自分に言いたい。
「たとえ、あれが悪魔だったとしても、話しかけなければ後悔することになる――」
The Birthdayの中で一番好きな曲がある。「星降る夜に」。波が立っては砂に塗れるように、星が瞬いては朝日に消えゆくように。その輝きはたとえ一瞬であってもそれが途切れてしまうことはない――。この曲からは、諸行無常とは少し違う、消えゆくもののを"それで構わないのだ"と全て肯定してくれるようなメッセージを感じる。チバもまたこの曲で描かれる世界のように、どこか遠くへと去ってゆく。だが、そこに悲しさはなかった。今はただ、彼が残した波の音を聞き、星の煌めきを眺めることにする。聴こえてくるその音楽だけは鳴り止むことはないのだから――。当然、思い残したことはたくさんある。SUMMER SONIC 2019、The Birthdayを観に行けば良かったということ。いつか行こうと思っていた単独ライブ。病気になったときも、当たり前のように復帰して、当たり前のように新曲を奏でるのだろうと思っていた。その時に行けばいいと思っていた。それから、やっぱり。あの時の新大久保、話しかけていればよかった。だが、その姿はもうない――。実体としてのチバユウスケに別れを告げ、概念としてのチバユウスケにもう一度出会う話。
「お前のそのくそったれの世界、俺はどうしようもなく愛おしい」