三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

平成学生回想録 ラウンドワン編

ラウンドワン 秋田店が開業したのがいつだったかと調べてみると、とあるサイトの隅の隅に、2006年12月21日と書いてあった。オープン当初はCMが頻繁に放映されており、当時一世を風靡していたお笑い芸人の長州小力が出演していた。ラウンドワンができる前は、格安のスーパーマーケットがあり、その隣にあるトイザらスの帰りに寄って帰ったような記憶がある。屋外に野菜が並べられていて、通路はおそらくは室外機から結露したであろう水で濡れていた。安いスーパー特有の雑多な感じ。時代の流れで淘汰されていくのも無理はないということか。ちなみにトイザらスはそれから20年近く経った今でもまだ健在である。2006年、自分は小学5年生で、5つ上の姉は高校1年生ということになる。オープン当初は、姉がよく行っていた。そこが何の場所なのか当時の筆者にはいわばブラックボックス的な存在であった。その黒い外装が、余計にそう思わせた。無論、カラオケやボウリングを始めとした様々なアミューズメントの複合施設に過ぎないのだが、こうした大規模な施設は秋田にはこれまで存在していなかったのである。

 

それから数年経って筆者も中学校3年、部活を引退してから初めて行った。中学生というのは部活を引退した途端、調子に乗りがちである。筆者もその筆頭であった。朝、友人宅に集合し、そこから自転車を飛ばして早割なるものでスポッチャに行くと、店の中には店員以外まだ誰もいなかった。今がどうなっているかは分からないが、当時はこれで採算が取れるのだろうかというレベルで空いていたのである。そこで心ゆくまでサッカーをしたりバッティングをしたりする。若者の体力というのは無尽蔵である。上京してから、埼玉某所のラウンドワンのスポッチャに初めて行ったとき、順番待ちという概念があるのを知って驚いた。しかも10分制である。スポッチャに併設されたゲームセンターも貸切だった。そこでは、ギターのゲームをよくやった。フレットの部分に3か所ボタンがついていて、ピックアップ箇所には上下に稼働するパーツがある。これでピッキングをするというわけである。画面に流れる譜面はフレットのボタンに対応しており、チョーキング風の動きや、ギターを反らせるような動きをするとポイントが加算されたりする。4人以上で行くとキーホルダーのセットがもらえた。当時はワンピース第2次ブームであり、それに関連するものがやたらとプッシュされていたと記憶している。それから、ハローキティとラウンドワンがコラボしたもの。空気で膨らませる巨大なボウリングピンなんかをもらったこともあった。ウルトラマンのキャラクターのもので、しばらく家に飾っていたが、ボロボロになってしまったため捨てられたようである。

 

カラオケに行くこともあった。今更ながらラウンドワンについて簡単に説明すると、ラウンドワンにはボウリング場、カラオケ、ゲームセンターがあり、それらすべての他、サッカーやバッティングを楽しめるスポッチャが存在している。多くの施設がこの形態をとっている。当然ながら、スポッチャのカラオケよりも、独立したカラオケの方が環境が良いので、カラオケを目的にするときはそちらを選択した。何より朝のフリータイムだととんでもないくらいに安かったので、決まって朝から行った。鏡張りの部屋の中は広く、ミラーボールやマイクスタンドがあった。エアコンのカビ臭さと、汗と、フライドポテトの酸化した油が混ざり合った臭い。フライドポテトはガーリック風味のソースがかかっていた。誰も知らないhideやその別プロジェクトのZilchの楽曲を歌っては勝手に満足する。いわゆる"中二病"真っ只中の時期であったが、この頃にヴィジュアル系だとかロックにハマっておいて本当に良かったとつくづく思っている。そういえば他の人は何を歌っていただろうか――。この頃ヒットチャートを賑わせていたアーティストは、90年代にデビューしたアーティストがほとんどだったような気がする。スピッツ、Mr.Children、L'Arc-en-Ciel、椎名林檎(東京事変)などなど……。当時の若手にはたとえばフジファブリックが思い浮かばれるが、彼らに関してもボーカルの志村正彦が亡くなるまでは、大々的に注目されるようなバンドでもなかったし、そもそもKing GnuやOfficial髭男dismのような、リアルタイムで大衆性と爆発力のあるバンドというのはなかなか出てこなかったような印象がある。ただこれは、バンドブーム時代の世代があまりにも強すぎて、ポストがなかなか空かなかったという見方もできるかもしれない。

 

ソロアーティストに関しても、今でいう藤井風やVaundyや米津玄師、それからあいみょんのような若者にとっての圧倒的なポップアイコンが不在であった。ポップアイコンといえば福山雅治であり、宇多田ヒカルであった。彼らもまた、90年代にデビューして以来、あまりにも長く実権を握り続けていた。別段これは悪いことではないが、若者にとっての同時代性のようなものは皆無であった。リアルタイムにそういう存在がいないなら、かつてに遡るか、プラットフォームを変えて見つけるしか手段がなかった。今では考えられないだろうが、YouTube以上に勢いのあったニコニコ動画におけるボーカロイドの興隆はこの時代に重なる。アニソンやボーカロイドなど、いわゆる3次元ではなく、2次元の存在をポップアイコンとする逃避的な流れは、この時代に出来上がったような気がする。無論、当時はそのようなことは考えたこともなく、ただただのほほんと過ごしていた。たいていは昼過ぎまでカラオケをやってから、ゲームセンターに行く。UFOキャッチャーでぬいぐるみなどをとる。スティッチの大きなぬいぐるみは今でも部屋に飾ってある。それを見るたびに、今でも当時のことを思い出す。ラウンドワンは高校になってからはさらに距離が近くなったため、部活が休みの日はよく遊びに行った。秋田の数少ない、というか唯一の娯楽施設。たまにはちょっとした回想録を。