三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

金木犀の香り、デモの響き――日比谷公園にて

2023年10月某日、先日までの記録的な暑さはすっかり鳴りを潜めていた。この日は用あって、霞が関某所へ行くことになっていた。朝、通勤ラッシュにもまれながら日比谷駅に到着し、待ち合わせの時間まで日比谷公園でしばらく時間を潰す。朝からテニスをやっている人が目に入った。老後の余生を満喫中といった感じのはつらつとした声が聞こえてくる。それを横目に、時おり死人のような眼をしたスーツ姿の人々が通っては、官公庁ビル群の方角へと吸い込まれていく。三笠山という、ちょっとした丘のようになっているところのベンチに腰掛ける。ここは公園造成時、池を掘った土を盛った人工の山のようである。当初はその名の通り、笠を伏せたような山が3つあったというが、テニスコートが造られるときに削られ、今は1つだけが残された。

 

正午を少し過ぎた頃、この日の目的が思いの外早く果たされてしまったため、辺りを散策してみる。あまりにも爽やかな秋晴れ、平日昼間の緩やかな都会の喧騒。日比谷公園の桜田門方面の門"祝田門"から入ってしばらく歩くと、金木犀の大樹が連なって生えているのを見つける。近づいてみると、その甘い芳香が霧のように漂ってきた。金木犀の鮮やかなオレンジ色の花と、深緑色の葉は、陽光に照らされてきらきらと光っている。花をじっと見ていると、ミツバチやハナアブが花粉集めに勤しんでいた。顔を近づけてみても気付く素振りは一切ないほど、彼らは夢中になっていた。金木犀のすぐ近くでレジャーシートを敷いて横になって寝ている人を見つけた。確かに、この天国みたいな空間で寝るのはさぞかし気持ちが良いだろう。

 

日比谷公園から官公庁ビル群へと向かってみる。法務省のビルの向かいに赤レンガの建物を見つけた。ここは明治時代に建造された法務省のビルのようである。第二次世界大戦の空襲で被災した後、今から30年ほど前に、当時の復元工事がなされたようである。入り口の守衛に館内の資料室について聞いてみると、見学のカードの付いたストラップを渡され中に案内される。身長よりもはるかに高い重い鉄扉を開け、中に入る。建物は現在、法務省の職員が業務として使用しているようで、入れる場所が限られていた。トイレに入ると、恐らくは復元工事以来変わっていないようであった。タイルの一部分は剥がれ、水道や鏡は一部が錆びている。一国の法務を担っているのだから、もう少し良くしてもらってもいいのではないかと思ってしまうほどである。

 

見学者が入ることのできる資料室は外観同様、明治期のモダンな造りになっていた。とはいえここは、当時の写真を基に最近になって復元したものであるらしかった。資料室では江藤新平の功績がやたらと取り上げられていた。彼は生前、反政府軍を指揮したとして、処刑され長年評価されてこなかったが、今日に続く近代的な司法制度を作り上げた人物として再び評価され始めているようである。最近の裁判員制度のような制度を100年前に制定しようとしていたという点でも評価されているのだとか。政府から糾弾された人物が死後になって、称賛されるというのは何とも不憫な話だ。社会科見学と思しき小学生の面々がやってくる。子供時代こういう場所に気軽に行ける環境が本当に羨ましい。"田舎の学問より京の昼寝"という言葉があるが、田舎の学問より京の学問である。ちなみにここは、官公庁の営業日、つまりは平日しか開館していないようである。

 

防衛省と警視庁の建物を横目に、再び日比谷公園を散策する。紅葉にはまだ早かった。この日は日比谷野外音楽堂でイベントをやっていた。周辺を歩く人々の手に持っているうちわが目に入る。どうやら医療・介護職員の処遇改善のデモであるらしかった。野音の扉が開いていたので入ってみる。つい先日10月8日のエレファントカシマシの野音コンサートの様子がよみがえってきた。冷たい雨が降りしきる、静謐な雰囲気の野音――。

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ところが今日は――各都道府県の組合員が野音に集結し、誘導のメガホンの声が響いている。先日、コンサートの会場になっていた際は場内の写真を撮ることができなかったため、売店やその他の場所を諸々撮った。*1野音は来年から改修工事が始まってしまう。こういう風景は、そこにあるうちは何とも思わないが、いざ無くなったり変わったりしてしまうと、ああ、もっと撮っておけばよかったと思うのが常である。撮りすぎなくらいがちょうど良い。

 

野音の周辺を歩いていると、デモ行進が始まったのか街に繰り出していく人々の姿が見えた。
「医療、介護、福祉に国の予算を増やせ!医療、介護、福祉従事者の賃金を上げろ!」
という掛け声に合わせ、他の参加者たちも輪唱していく。太鼓の音、ホイッスルの音とメガホンの反響音がぐちゃぐちゃと混ざり合う。野音のステージ下手前方の入り口が開放され、そこから"賃金値上げ!"と書かれたプラカードやのぼり旗を持った人たちが次々にやってくる。その様子は壮観であった。参加者の中の一人が「僕らはみんな生きている」を繰り返し繰り返し歌っていた。テノール歌手のような歌い方で歌っていたので、やけに印象に残った。デモの音は街中に響き渡ってゆく。日比谷公園を離れてもなお、その音は遠くの方で聞こえてきた。日比谷公園にて。

 

*1:これを書いているときは改修工事が2024年から行われる予定であったが、つい先日、改修工事が1年先延ばし(2025年)にされるという報道があった。まったく、とんでもない肩透かしである。不思議なことに嬉しくも何ともない。むしろ、閉店詐欺のような憤りに近いものが沸々湧き上がってきた。