三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

女性アーティストたちの躍動——SUMMER SONIC 2022に行ってきた その2

幕張メッセの会場内は、開演前から多くの人でにぎわっていた。SONIC STAGEから聴こえてきたサウンドチェックの音が良かったので、最初は、カメレオン・ライム・ウーピーパイを観ることにした。女性ボーカルに、ベースとDJという構成のユニットだった。ベースとDJのウサギをモチーフにした着ぐるみが異彩を放っている。SpotifyのEarly Noiseという新進気鋭のアーティストが集められたプレイリストがあるが、例によって彼らもそのうちの一つであったようである。楽曲制作からアートワークさらには映像に至るまで、すべて自分たちでやっているようで、その自主制作感というか、コンセプトもしっかりと固まっている感じでなかなか面白いと思った。最近は、スタジアムだとかホール規模のアーティストしか観ていなかったから、下北沢とか渋谷のキャパシティー300人くらいのライブハウス感のようなものを久しぶりに感じることができて良かった。そして何より、"フェス"という様々な音楽ファンが一堂に会するイベントが3年ぶりに開催され、音楽を通じてアーティストを含め皆がそれを楽しそうにしている姿を見るだけで、感極まってくるものがあった。

 

続いてその隣のMOUNTIN STAGEにて、THE LINDA LINDASを観た。平均年齢が約15歳の非常に若いバンドであったが、最近話題であるとのことで、観に行くことにしたのだった。ところが、これが誤算であった。音楽は話題性だけで判断してはいけないということを、彼らを観て改めて痛感したのだった。まずは、その演奏のクオリティであるが、これはお世辞にも上手いとは言えないものだった。ドラムは2010年生まれとのことだが、まさしく10代前半のある程度ドラムが叩ける女性の演奏といった感じで、所々キメが合わないところもあった。ベースやギターに関しても同様で、少なくとも幕張メッセの一番大きなステージで演奏されるようなものであるとは言えたものではなかった。演奏される楽曲の方も、1曲2分ないしは、それに満たないくらいの短くてシンプルな構成のパンクロックが続く。こういうジャンルの音楽は正直日本人にはウケないだろうなと思っていたが、会場は満員になっていたようであった。失礼を承知の上で書けば、"贅沢な学園祭バンド"という感じである。バンド名の由来になったTHE BLUE HEARTSの「リンダ・リンダ」をカバーすることがあったが、これも到底聴けたものではなかった。どうしてこれが話題になっているのか――演奏が響き渡る場内でそれだけのことを考えていた。そして結論する、10代の女の子たちが、一生懸命パンクを歌っている姿がウケているだけのではないか――。せっかくお金を払っているのだから、最低限はしっかりしたものをみせて欲しいところであった。無論、彼らにそういうものを期待した自分が間違いであるのだが……。

 

PACIFIC STAGEで演奏しているリーガルリリーを横目でみながら、マリンスタジアムへと移動する。人波に揉まれてかれこれ25分ぐらいかかった。スタンド席に入る。細い通路から会場がパーっと広がるのは、ライブの場面であれ野球の場面であれ、いつ見ても興奮する。12時前くらいにバックネット裏の少し横の席に座った。会場ではBEABADOOBEEが演奏していた。清涼感をふんだんに含ませたサウンドは、MARINE STAGEに心地よい浜風をもたらしている。THE LINDA LINDASをに最後まで観ずに、もっと早く移動してくればよかったと後悔した。今回の唯一の後悔をあげるとすれば、この時である。ドラムのサウンドとディストーション・ギターの音は非常に鋭いが不思議にも、丸みを帯びた砂のように優しくさらさらと流れていく。ライブ終盤、彼女は「Kawaii!」と言って、レッサーパンダのリュックサックを背負って歌う。その姿は、あまりにもキュートなご様子であり、会場はなんとも幸せな空気が流れていた。

 

続いてそのまま、MARINE STAGEに居座り、RINA SAWAYAMAを観ることにする。先ほどとは対照的に、メッセージ性の強い、タイトな楽曲が続く。熱いダンサーたちと熱い歌唱、自身のセクシュアリティを反映させたMCのメッセージも意志の強さを感じるもので、非常に良かった。思い返せば、午前中に観たアーティストはほとんどが女性であった。別に意識したものではなく、思い返せばそうだったという感じである。THE 1975は、一定数の女性とノン・バイナリー・ジェンダーのアーティストが出演するイベントにしか参加しないことも表明していたが、観ている側の自分の方はというと、いたって自然な意識で観ていた。この記事のタイトルでは『女性アーティストたちの躍動』などという風に書いたが、男性がどうこうだとか、女性がどうこうだとか、そういう視点ではなく一人、あるいは一組のアーティストとして観ていくことが、今後より重要になってくるのではないかと思えた。