三浦日記

音楽ライターの日記のやうなもの

三浦的2020年ベスト・アルバム5選——邦楽編

今回のベスト・アルバムを選ぶ際に、大きく決めたテーマは2つある。一つは"ライブと分断された作品"を選ぶということだ。もっとかみ砕いていえば、ライブで演奏されることが前提になっていない作品を選定するということ。ライブやフェスという半ば当たり前に存在していたものが2020年突然消えた——。そうなったときリスナーはどのような心持で音楽を聴くことになったのか。音楽リスナーの一端としての率直な感情が、今回の企画で反映されているかもしれない。

 

もう一つは、2020年にリリースされた作品という枠組みに縛られないということだ。先ほど書いた、ライブやフェスの喪失によって、これまでの音楽業界のシステムが大きく崩れることになった。そうした際、日本の2020年の音楽はどの程度の力をもってリスナーに訴えかけてきたか——。残念ながら筆者の中に、燦然と輝く作品は現れることはなかった。結局のところ日本で生産・消費される音楽は、新型コロナウイルスの影響で脆弱化した日本の音楽業界のシステムの中で、もがいているに過ぎない。そのように感じた瞬間、辟易してしまったのである。そのため今回選んだ作品は2020年にリリースされたものではない。なぜ筆者がこうした思考になっていったのかは、前回書いたまえがきに詳しく書いている。www.miuranikki.com

 

1. 奥田民生『O.T. Come Home』(2013)

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今作は中古レコードショップで初回限定盤を買ったのをきっかけに、久々に聴き始めた。『Fantastic OT9』(2008)、『OTRL』(2010)に続く、奥田民生のレスポール・サウンド三部作(勝手にそう呼んでいる)の最終章を飾る本作は、その音質、ソングライティング共に、実に最高の水準であった。『OTRL』同様、すべての楽器を一人でレコーディングしていくスタイルがとられ、複数の人間が奏でるバンド・アンサンブルとは異なった一体感が押し寄せてきた。バラバラの音域をもつそれぞれの楽器は、奥田民生の手によってカチッと一つにまとめられ、暖色系の音を放っている。たとえるなら暖炉だ。炎の揺らめきを眺めているような癒しと、時折パチパチと火の粉を散らしながら燃え上がる薪の力強さ。そして、空間内は温かい空気で満たされていく——。思えば、2020年はとにかくCDやレコードを買い漁った。サブスクリプション・サービスで聴くことをいったんやめて、中高時代のようにコンポでCDを再生した。もちろん途中で他のCDを入れ替えることも、再生を止めることもなく一度音楽を流したら作品の最後まで止めない。ぼんやりしながら一周、ご飯を食べながらもう一周、部屋を真っ暗にして一周。そんな感じで聴いていると、音楽が体の中に沁み込んでくるのが分かった。音は耳を通じて体の中へと入り込み、それに呼応するように、皮膚や臓器は無意識的に反応し、体は満ち足りてゆく——。この作品は、今年の筆者の聴き方を象徴するような一枚であった。  


2. 宇多田ヒカル『HEART STATION』(2008)

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この作品は、筆者が小学校高学年の頃、リアルタイムで聴いていた。当時、PS2のラチェット&クランク・シリーズや星新一のショートショートにハマっていた筆者は、本作が内包しているSFムービー的な質感にワクワクさせられたものだった。それから干支が一周し、当時の少年はいい年の大人になってしまった。大人になって改めて聴いてみるても、全く古臭さを感じない。"CMのタイアップソング"、"映画主題歌"、"ポピュラー音楽"という一見、世間の消費システムに組み込まれていると思われがちな彼女の音楽は、そこから独立したものであったのだ。もっといえば作品は、作者からもきっちりと独立している。それは、宇多田ヒカルがライブを軸としたアーティストではなく、レコーディング主体の活動を行ってきたということが功を奏しているのかもしれない。それはときに、"宇多田ヒカル"という実感が匿名性を持ったものに変貌し、フィクションに昇華されているということでもあるのだ。作品を内包する淡いエレクトロ・サウンドから想起されるのは、洗練された近未来のユートピア像であり、彼女の正確無比なピッチの中に見え隠れする歌声の揺らぎは、浮かび上がってきたサウンドスケープを無機質なままにさせない。家の中で聴いていると、自分の潜在意識の中で作りあげられた"近未来都市"はやがて、具体的なイメージとなって脳内で構築されていくのだった。

 

3. スピッツ『醒めない』(2016)

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2020年は家の中で過ごすことが多かった。起きてから、朝食を食べ、作業をし、ひと段落すると散歩に出かけ、夜を迎える。そんな変わり映えのない日々の中で、筆者の心を満たしてくれていたのが、このスピッツの『醒めない』であった。スピッツの数ある作品の中でこの作品を選んだのは、特にフラットに聴こえてきたことが関係している。2020年以前というのは、音楽は非日常的な体験をするものという意味合いが強かったような気がする。日常と分断し、時にはどこか別の場所へと赴き、そこで音楽を聴くという行為が当たり前になっていたのだ。しかしながら2020年、音楽と日常というのは不可分なものだということを、改めて思い知らされた。家の中で音楽だけに耳を傾ける極めてシンプルな行為の重要性――。草野マサムネの歌声に乗せられたメッセージはさらさらと流れていき、時折その断片が魚のように跳ねては、再び流れに身を任せてどこかに消えてしまう。バンドアンサンブルも無理に聴かせようともしない。体に元々存在しているリズムを邪魔することなく、シームレスに溶け込んでいく――。今作を飲み物に例えるなら水だ。日常生活に必要不可欠であり、どんなときでも変わることのない味わいで喉を潤し、体の中へ浸透していく。そんな『醒めない』の持つフラットさは、2020年の筆者の聴き方にまさにぴったりだったのである。

 

4. サザンオールスターズ『ステレオ太陽族』(1981)

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20代の筆者にとって1980年というのは、まったく実感のないものである。そのため当時をリアルタイムで過ごした人間から、あの頃はこういう社会で、そんな中サザンが——なんて言われてもまったくピンとこない。その代わり、当時の音楽やファッションというのは、未だ鮮明に残されており、今ではインターネットで簡単に当時の風俗を知ることができる。そしてそこには当時のバイアスは無い。たとえ80年代当時に評判が悪くても、今の視点で見て良ければ構わない——。数年前YouTubeにアップロードされた竹内まりやの「Plastic Love」が海外で爆発的にヒットし、シティ・ポップ・ムーブメントが巻き起こった。この現象は、まさにそうしたバイアスなしに純粋に音楽を味わう行為を象徴しているような気がする。一昨年末、サザンの全作品がサブスクリプション・サービスで配信されたのをきっかけに、彼らの作品を聴いてみると、この作品は特に、先に述べたシティー・ポップの類に分類されてもまったく違和感がないように思えた。あれ、今になって当時のサザンを振り返ると、滅茶苦茶イカしている——。大晦日、無観客の横浜アリーナから中継されたライブ映像に映った、サザン——。彼らのステージは相変わらずかっこよかった。でも筆者がこの作品で感じたかっこよさというのはちょっと違う、積み重なった歴史の重みからくるかっこよさではなく、『ステレオ太陽族』の頃のサザンを固定化させ、80年代の若者として、同世代的にサザンを眺めたときに感じるかっこよさだ。2020年、音楽作品の新たな面白さを発見することができた一枚である。

 

5. オフコース『OVER』(1981)

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Spotifyのシャッフルで、本作に収録されている「哀しいくらい」とThe 1975の最新作に収録されている「If You're Too Shy (Let Me Know)」が続けて流れた。そしてふと思った、オフコースって何だかThe 1975っぽいなぁ——。そう感じ、作品全体を通して聴いてみると、これまたThe 1975の風を感じた。これはすごい、ということで母が持っていた『JUNKTION』のレコードを、実家から送ってきてもらうことにした。The 1975の作品は、アルバム一曲目に「The 1975」というインストゥルメンタルで始まるのがお決まりになっているが、本作でもその手法が取られている。そして、アコースティック・ロック、ソフト・ロック、AORが内包された本作のサウンドには、甘美なラブソングが乗せられている。ソロ・シンガーとして"希望"や"夢"を歌う小田和正の姿はそこにはなく、バンドのボーカリストとして透き通りながらもどこか憂いを持った彼の歌唱は、マシュー・ヒーリーのように聴こえ、ちょっとわざとらしい位に男女の関係を機微を〈君は息を止めて 僕を見てるだけ〉なんて歌うところも、The 1975と重なる部分があるような気がする。そして、何よりもドラムやベースのミックスが続けて聴いても違和感がなく聴けるのには驚いた。2020年、母の誕生日にThe 1975のレコードをプレゼントした。当時、オフコースをリアルタイムで聴いていた母は、彼らの楽曲を懐かしさを覚え、彼らのリアルタイムのリスナー息子である筆者は、オフコースに今を感じる——。まさに、作品を通じて時代を行き来した瞬間であった。