三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

三浦的2020年ベスト・アルバム5選——邦楽編 (まえがき)

2020年は、あらゆるものの構造が変化した一年であった。日本の音楽業界もまた、その変化を余儀なくされたものの一つである——。

 

日本の音楽業界と言われるシステムの成り立ちを簡単に振り返ってみると、日本において、音楽というものが商業的なモノとして成り立つようになった時期というのはやはり、レコードという媒体が大量生産可能になった時期と重なる。それに伴ってレコード会社が設立され、さらにはその宣伝を行うために広告会社も設立されてゆく。やがて、ポピュラー・ミュージック(クラシックの対比的に)のコンサート/ライブというものが一般化してくると、興行全般を取り仕切る会社が設立される。そして、業界が成熟してくると、音楽に対してジャーナリズムを付与する音楽メディアなるものが生まれてくる。そして、ここ20年そこそこでの話で言えば、レコード会社、コンサート会社、そして音楽メディアそれぞれで主催した"音楽フェス"なるものが台頭するようになってきた。

 

本来であれば、アーティストが音楽を作って、消費者はそれを聴くためにお金を払うというシンプルな構造であることが理想であるといえるはずだ。しかしながら、現実問題としてそう上手くいかないのが世の常で、両者の間にはレコード会社や広告会社、さらには音楽メディアが入り込み、さらにはフェスに出演するとなるとコンサートの運営会社の親密な関係があったりと、アーティストはこれらと協力しながら音楽業界の構造を作り上げていく必要がある。レコード会社は、所属するアーティストに対してこういう曲を作ってほしい、あるいは広告会社からの依頼を受け、映画やTV番組のテーマ曲や、CMのタイアップ曲を作ってほしい、などという話を持ち掛け、アーティスト側はそれに呼応するようにせっせせっせと楽曲作りに励んでいく。そのときばかりは、自分ら、今はこういう曲、作りたくないんだけどなぁ......、あるいは売れるためには仕方ないかぁ......と、ため息を漏らすアーティストもいるかもしれない。

 

そんな葛藤を経て、いざ楽曲が完成しました、となると今度は楽曲を世間に広めるべく、プロモーション活動なるものをしていく。プロモーション活動はTV出演に始まり、CM出演、そして何よりも音楽メディアでのインタビューが大きなウェイトを占めると言っていいだろう。この曲には、一体どんな意味が込められているんですか?えー、この曲はかくかくしかじかな意味があってですね——。一枚でも多く売れ、一人でも多くの人に届いてほしい——。アーティストの切実な願いは、音楽を作るということ以外のパッションを助長させる。バンドやコンサートを行うアーティストの場合、プロモーションがひと段落するか、同時進行でアルバムを引っ提げた("引っ提げる"といえば、なぜかアルバムという名詞に対して頻繁に使われる表現でお馴染みである)ツアーなるものを敢行する。これもプロモーションの一環であるといえるだろうが、もっと小規模で限定的な場合はリリース・パーティーなどとも呼ばれる。アーティストはここで初めて観客と対峙をし、新曲に対する実直なリアクションや評価を肌で感じることができる。そして、ツアー千秋楽を終えるとまもなく、再びレコード会社から、今度はこういう曲をぜひ.......などと手をスリスリされてしまうのであった。

 

もちろん、音楽業界の全部が全部このような構造になっているとは言えないが、誰かから依頼をされて楽曲を作り(もちろん、依頼などではなく自発的なモノもあるだろう)、それをメディアでプロモーションし、さらにはライブで披露するという音楽業界を取り巻くサイクルは、かなりの程度で確立されていると言えるだろう。それに対して消費者側は、プロモーションによって得た情報によって、CDやアナログ・レコードを購入したり、近年ではYouTubeなどの動画サイトでMVを視聴したり、Spotify等のサブスクリプション・サービスを使ったりしてリリースされたものを消費していく。また、それだけでは物足りない消費者は、実際にコンサート会場に足を運び、臨場感たっぷりにその音楽を"生"体験をする。アーティストだけではなく消費者もまた、プロモーションで情報を得て、音源を聴き、場合によってはライブに足を運ぶという音楽のサイクルに自然と誘導されていき、音楽市場の売り上げの一端を担ってゆくのである。

 

だらだらと書いてしまったが、2020年は、音楽業界におけるこうしたアーティスト側、消費者側の構造が崩壊した一年であった。新型コロナウイルスの感染拡大によって、コンサートや音楽フェスは軒並み中止となり、アーティスト側は大きな収入源であると同時に、プロモーションの役目を果たすものを失った。それに対し、消費者側がコンサートに渇望しているかといえば、そうとは言い切れない現状があった。敵は人間自体ではなく、その中、あるいは空気中に存在する未知のウイルスであり、消費者に限らず世間は、ライブハウスやコンサートホールをはじめとする、人が密集する場所に対して不安感を覚えるようになったためである。供給がある程度回復しても、潜在的な不安が亡くならない限り、需要が伸び悩むことは自明であった。ただ、会場に赴き、実際に足を運ぶという行為がはばかられるようになった現在においても、人々は音楽そのものを忌避するようになったわけではない。むしろ、昨今の現状に対する救済の意味合いとして、音楽の役割というのはより重要になってきたように思える。アーティストは何とか試行錯誤をし、消費者に音楽を届けることに邁進をするのであった。

 

しかしながら、筆者にとって2020年にリリースされた作品(特にコロナ禍を迎えた後の作品)でその年を象徴する作品を選ぶことはできなかった。既存の音楽システムが、あまりにも盤石すぎたのである。筆者自身振り返ってみれば、そのシステムの駒として取り込まれ音楽を享受し、その年を彩った音楽を振り返るという半ばルーティン化した作業を行ってきたようにも思える。だが今年はそれが出来ず、空虚感に襲われることさえあった。それに拍車をかけるように、業界のシステムにどっぷりと浸かったアーティスト側や、そのシステムに誘導させた音楽メディアは、新型コロナウイルスによって激変した世の中に、屈することしかできなかった。インタビューを読めば誰もが口をそろえて、新型コロナウイルスの惨状を語り、コンサートや消費者とのインタラクティブな関係性の復活を願う——。結局のところ、これまでに構築してきた音楽業界のシステムを新たに作り変えることなく、疫病によって崩壊し、脆弱化してしまった音楽業界のシステムという集合内において、何とかしようと模索しているにすぎないのではないか?——。そうした面を感じてしまった瞬間、そして筆者自身の音楽に対する向き合い方の変化を感じた瞬間、2020年、日本でリリースされた作品は残念ながら、燦然と輝くことはなかった。

 

2020年、筆者は"新しい音楽"を聴くのをやめた。厳密にいえば、新しい音楽を聴く行為を目的化することをやめた。作品を消費し、何かを得ようとする感覚ではなく、純粋に体に取り込むという感覚で聴いた。そこから何も得られなくてもいい。とにかく鳴っている音にひたすら耳を傾けることにした。すると、よく聴いた作品に、ある傾向があることが分かった。それは、ライブと作品が可分、あるいはそのつながりを感じさせない作品である。もっといえば、ライブで演奏することを前提とせず、作品のみで完結しているようなものである。そこで、2020年のベスト・アルバムのテーマは、"ライブと分断された作品"にすることにした。先にも書いたように、本年選定する作品は、2020年にリリースされたものに限ったものではない。2000年代のものでも、1990年代のものでも、そもそも、そうした年代という括りで聴くこともしていない。テーマに対する順守をひたすらに徹底している。そんな筆者的、邦楽編のベスト・アルバム5選、いよいよ次回発表いたします。

 

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