三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

サントラを"観る"映画——『エンジェル・ウォーズ(Sucker Punch)』レビュー

あくる日YouTubeの広大な海を彷徨っていると、とある動画を見つけた。Slyfer2812氏が作った『ファイト・クラブ(Fight Club)』の本編を編集した、いわゆるMAD動画である。

youtu.be

最近は著作権に関する規制が厳しくなったのと、YouTubeに公式チャンネルが続々と現れてきているためか、この手の動画は中々検索エンジンに引っかかりにくくなってしまったが、孤島に存在する宝箱を見つけるかのごとく根気よく探せば、お目当ての代物にありつくことができる——。このMAD動画、公式のトレーラー動画に勝るとも劣らないクオリティの高さで、映画を観たときの感動がありありと蘇ってくるのであったが、何より挿入されている楽曲がまたなんともオツであった。それは、『ファイト・クラブ』のエンディングで流れるPixiesの「Where Is My Mind?」なのだが、どうもこのオリジナル・バージョン違うということで、詳細欄を見てみると、Yoav and Emily Browningによるカバーらしかった。

 

すぐさまカバー・バージョンで楽曲を検索してみると、ある映画の挿入曲として使用されていたことがわかった。その映画が今回取り上げる『エンジェル・ウォーズ(Sucker Punch)』であった。"エンジェル・ウォーズ"なんていうと一気にB級映画の香りがプンプン漂ってくるが、この映画は天使が戦争をする映画などではないし、ポスターにあるような、武装した女性4人が背後のスチーム・パンク(?)調のロボットや戦闘機と戦うことに主眼が置かれた映画でもない。あらすじとしては、1950年代、継父の計略によりレノックス精神病院に入れられた主人公の少女が5日後にロボトミー手術を受けることになる——、ここで突然場面が切り替わり、主人公はベイビー・ドールという名前の娼婦として働くことになる。そこで、ストリップ・ダンサーの指導を受け、さあ、踊ってみなさい——とラジカセのスイッチが押されたところで、またもや場面が転換し、中国や日本の寺院や神社をはじめとしたオリエンタル・カルチャーを意識した建物内で、師範からゲームをクリアするための"キーアイテム"なるものの訓示を受ける。

 

キーアイテムを得るには、音楽の鳴った空間でベイビー・ドールによるダンスが必要で、彼女が客の前でダンスをするたびに、場面は第一次世界大戦、ドイツ軍との戦闘に切り替わったかと思えば、次のキーアイテムを得るときにはダンジョン内に鎮座するドラゴンから奪い取ったキーアイテムを巡って、ドラゴンから逃げ回ることになったり。さらには、近未来都市を走る電車に積まれた時限爆弾を解除するというSFチックなミッションになったりと、目まぐるしいくらいに展開していく。そして、それぞれのミッションのシーンが終わると、再び、娼婦の世界に戻り、次のミッションに向けて計画を練っていく——。無論、このゲームはベイビー・ドール自身の妄想であり、彼女は他の娼婦たちとともに、娼婦宿からの脱走を図っているのだった。ミッションを全てクリアすると、果たして娼婦たちはどうなるのか、序盤に描かれた精神病院とロボトミー手術にどのようにつながっていくのか——。

 

と、あらすじはこの辺りにしておいて、この映画で注目したいところ挙げていきたい。なんといっても選曲が非常にすばらしい。もはやこれに尽きる。監督ザック・スナイダーがサウンド・トラックにこだわったというだけあって、時折内容そっちのけで音楽に耳を傾けてしまうことさえあった。特に、筆者が本作を見つけたきっかけであるPixiesの「Where Is My Mind?」のカバーは秀逸であり、ベイビー・ドール演じるエミリー・ブラウリング(Emily Browning)自身が歌ったことで、よりシーンに没入しやすく、憂いと儚さを持った彼女の歌声は没入感に拍車をかける。さらに、Armageddonの1970〜80年代のバンドであるQueenの「We Will Rock You」と「I Want It All」を90年代のミクスチャー的な構成でマッシュアップしたラップ・ソングや、1960年代のバンドであるThe Beatlesの「Tomorrow Never Knows」を、90年代に勃興したブリット・ポップ的な文脈でのカバーは、時代をクロス・オーバーさせたものとして非常に面白く、映画のサウンド・トラックとしてのみ消費されるにはあまりに勿体ない出来となっている。

 

本作の評価は決して高いとは言えないが、その要因として考えられるのは、あらすじの部分で書いたような、場面の切り替わりの前後のつながりの薄さである。あえて、現実と妄想の区別を曖昧にさせたかったのかもしれないが、この唐突さについていけなかった鑑賞者はおそらく、映画からフェードアウトしてしまうのではないだろうか。確かに筆者も、「なぜいきなり精神病院の患者から、娼婦に⁈」となった矢先、息つくヒマなく唐突な戦闘シーンに展開して行ったりと、一瞬ついていけなくなる場面があった。しかしながらこれを、"現代版不思議の国のアリス"だと思って咀嚼すればなんのことはない、まあこれはそういう夢遊病・妄想的な映画ですよね、はいはい、と構えていればすっと腑に落ちてしまう。とはいえこの映画、色んな意味で内容が飛んでいるので、サウンドトラックの出来が微妙だったら世紀に残る駄作映画として語られてしまっていたかもしれないと、製作者でもないのに心配をしてしまったり。まあ、こういうタイプの映画もたまにはアリかなと思わせてくれる映画であることは間違いない。面白いかどうかは決して保証はしませんが...。

 

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