三浦日記

音楽ライターの日記のやうなもの

自身の信条と、それに背反する精神との戦い―『ハクソー・リッジ (Hacksaw Ridge)』(2016) レビュー

第二次世界大戦は、多くの犠牲者と憎しみを生み出した惨状であった。同時に、世界中で多くの作品も生み出すことにもなった。『ハクソー・リッジ』もまた、その数ある産物の内の一つである。作品の舞台は太平洋戦争末期、1945年5月の沖縄の前田台地。ハクソー・リッジは、その英名だ。ハクソーは、切り立った断崖が弓鋸(ハクソー: Hacksaw)に似ていることから付けられた。リッジ(Ridge)は、崖を意味する。日本とアメリカの争いということで、邦題は"沖縄戦"を表す言葉を使ってもいいはず。しかしながら、そうすることはしなかった。それは、この作品がある種のプロパガンダに対抗する力を持っていることを暗示しているようにも思える。もっといえば、日本人、あるいはアメリカ人という立場から戦争をみるということ、さらには教育的、慣習的な要因によって固まってしまった見方について、今一度再考させてくれるということである。

 

本作の主人公となる人物は、デズモンド・T・ドス(Desmond Thomas Doss)。彼は宗教上の理由から、銃を持たない、いわば良心的兵役拒否者。前半は、そんな彼の幼少期と青年期について描かれる。1920~30年代のバージニア州の丘陵地帯を舞台に、*1ノーマン・ロックウェルが描く絵画のようなクリーミーでレトロな色合いは、観るものを当時のアメリカへと滑らかに誘う。幼少期、のちの彼の思想に大きな影響を与える出来事が描かれる。それは、弟のハルと突発的に起こってしまった喧嘩。ドスはハルをレンガで殴り失神させてしまう。その後に見た、壁の絵に書いてある"汝、殺すなかれ"という戒め——。それ以来、彼は何があってもそれを守ることを約束する。

 

それから数年が経ち、彼はアンドリュー・ガーフィールド演じる立派な青年へと成長し、人々を助け命を救うことに熱心になる。怪我人を病院に連れて行った際、ドロシー・シュットと出会う。医療に対する興味を打ち明けていくうちに、愛は開花していく。時は日本軍の真珠湾攻撃の後。彼もまた、軍の衛生兵として入隊したいという思いが募っていく。しかしながら、父親であるトーマス(ヒューゴ・ウィービング)は反対する。彼は、アルコール依存症の第一次世界大戦の退役軍人。非暴力を説き、*2ベローウッドの戦いで戦死した幼馴染の墓をたびたび訪れ、息子たちには同じ顛末をたどってほしくないと入隊を望んでいない。また、彼は戦争のトラウマを払拭すべく、酒をあおっては妻のバーサとその息子たちを殴るのだった。

 

紆余曲折を経て、アメリカ軍に入隊したドス。彼は自身の信条のために、銃を決して持つことはしない。だがそれは、同僚や上官からの反感や懐疑的なまなざしを受けることにもなった。そして、軍隊の円滑な運営に支障をきたすと、グローバー大尉とハウエル軍曹は、彼は精神病であるという口実を作り、辞めさせようとする。けれども、ドスは辞めない。次第に、雑用係に駆り出され、同僚からも何度も殴られ屈辱的な扱いを受けるようになる。

戦場では絶対に頼りにするな
なぜなら 奴は常に良心と葛藤しているからだ
—— ハウエル軍曹

それでも彼は辞めない。戦場で人を助けるという信念を持ち続けて。しかしながら、不服従を理由に、デズモンド・ドスは逮捕されてしまう。罪を認めれば、保釈、認めなければ刑務所行き。それでも、デズモンドの決意は揺るぐことはなく、罪意を認めようとはしない。

プライドのせいかもしれない
でも信念を曲げたら
僕は生きていけない
——デズモンド・ドス

そこで、第一次世界大戦の退役軍人であった父親が動く。すべての法律を覆す、高官からの手紙を持って現れたのだ。告訴は取り下げられ、ドスは訓練課程を修了は認められることになる——。

 

前半部分は、ドスの物語であることはもちろん、彼の父親であるトムの物語であるようにも思える。彼は、非暴力と戦争という両者の矛盾した関係性に屈し、自暴自棄になっていた。そんな最中、息子であるドスは良心的兵役拒否者の衛生兵として戦争に行くことを決意する。これはいわば、父親に成り代わってその矛盾に改めて対峙し、格闘するという象徴のようにも映る。自分が屈してしまったものに、息子が再び挑もうとする。トムはそんな息子を後押しするために、これまで目を背けてきた戦争というものに、今一度対峙し、第一次世界大戦時代の軍服に袖を通し、行動を起こす——。その意味で、この前半の終盤というのは、息子にとっては軍人としての門出であると同時に、父親にとっては戦争のトラウマにケリをつける、クライマックスであるともいえるのだ。

 

後半は、沖縄戦を舞台に物語は展開していく。前田高地の崖を登っていく米軍、その先には日本軍が待ち構える。静寂の末、きわめて突発的に戦いの火ぶたが切って落とされる。銃が脳天を突き破り、倒れ込む米兵、内臓が露わになった死体。戦火の中、ドスは手当てを施していく。ここで、注目したいのが、日本兵の描かれ方だ。確かに実際の史実とは異なっているかもしれないが、当時の日本人の精神性が見事に描写されているように思える。手榴弾を手に持ち、米兵とともに死んでいく日本兵、死ぬことををいとわない日本兵に、米兵は困惑を隠しきれない。天皇のため、国のために命をささげる。いわば洗脳。それをこの作品では、あくまで"クレイジーな存在"として描くことに徹する。

 

両軍が入り乱れる中でも、ドスの人を助けるという信念は決して揺らぐことはない。彼は、敵味方関係なしに人を助け続ける。彼にとってこれは、第二次世界大戦、太平洋戦争、日本とアメリカという戦いなのではない。戦争というものと、非暴力という精神との戦いなのである。

神様、もう一人助けさせて
——デズモンド・ドス

指が擦り切れ、ふらふらになりながらも彼はこの言葉を頼りに、また一人、また一人と人を助けていく——。戦争というのは、人間がいかに愚かな存在であるかということを、否が応でも教えてくれる。ただ、それだけではない。皮肉にも、人間の美しい部分も浮き彫りにさせてくれる。これは、単なる戦争映画ではない。あくまでも戦争を舞台にした、"自分の信条"と"それに背反する精神"と戦う、一人の人間の物語なのである。

 

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*1:アメリカ合衆国のイラストレーター。大衆的な人気を博した。

*2:第一次世界大戦、フランスのベローウッドで勃発した戦い。