三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

善人と悪人、両者を平等に苦しませる酷寒の悲劇―『ウインド・リバー (Wind River)』(2017) レビュー

草原がなびく私の理想郷

風が木の枝を揺らし
水面がきらめく

孤高の巨木は
優しい影で世界を包む

私は このゆりかごで
あなたの記憶を守る

あなたの瞳が遠く
現実に凍えそうな時

私はここに戻って
目を閉じ——

あなたを知った喜びで
生き返るの 

やさしく、満たされたような声で、女性がなんとも甘美な詩を朗読するのが聞こえてくる。それとは対照的に、画面上では悲痛な嗚咽を漏らしながら、広大な雪原を駆ける若い女性が映し出されている。見る限り、凍てつく寒さの場所であるにもかかわらず、裸足のようだ。月明かりだけが、真暗な雪原と走る女性の姿をぼんやりと照らしていた——。この、悲痛さ不可解さ両方を持ちあわせた幕開けは、物語の最後で全てが明かされることになる。

 

物語の舞台となっているのは、アメリカ・ワイオミング州のウィンドリバー・インディアン居留地。ジェレミー・レナ―演じるコーリー・ランバートは、アメリカ合衆国魚類野生生物局(FWS)の職員で、そこで人畜に被害をもたらす動物の駆除するハンターをやっている。その日も、家畜を襲っていたピューマを駆除すべく、雪山を探し回っていた。しかしながら見つけたのは、頭部に傷を負い、手足も凍傷していた一人の若い少女だった。彼はその姿を見るや否や、雪面にうなだれる。それは、コーリーの親友マーティン・ハンソンの娘であるナタリーだったのだ。

 

FBIは事件の捜査に際して、新米捜査官ジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)を送り出す。自然の脅威をあまりに軽んじていたバナーの捜査は難航。そこで、コーリーもまた、ウィンド・リバーの"案内役"として捜査に携わることになる。近代文明が作り出したものは必要最小限に抑えられ、美しく壮大で、けれどもひどく面白みのない無機質な風景を作り出している。彼らの捜査は、そんな場所で淡々と展開していく。事件解決の手掛かりになるのは、最新の科学技術でも、腕利きの警察犬でもない。雪に残された足跡とスノーモービルの跡だけが、唯一の証拠になるのである。

 

自然の脅威に、人はどうすることもできない。どうすることもできないままなら、まだ平和なのかもしれないが、人間はそうはいかない。どんどん鬱屈した精神に蝕まれていく。例によって、ここに住む一部の人々もそれに耐えきれず、抑圧された環境の中でどろどろと鬱屈していく。まるで、一つの水槽に閉じ込められた、魚がストレスによって自傷行為に走るかのように。

 

それに拍車をかけるのは、インディアン保留地という、政治的な抑圧だ。インディアンたちは、政府の手によって追い出され、文化的なものも奪い去られてしまった。たびたび非行に手を染める、マーティンの息子であるチップ(殺されたナタリーの弟)が、なにか事件にかかわっているのではないかということで、彼がコーリーに尋問されるシーンは印象的だった。

この街のせいだ
何もかも奪ってく

—— チップ・ハンソン

怒りが込みあげて
世界が敵に見える

—— チップ・ハンソン

彼は言う。自分をこんな人間にさせたのは社会が悪いのだ、と——。

 

鬱屈したものが爆発する瞬間というのは、悲痛であり、狂気的だ。この作品でそのピークを迎えるのは、終盤に繰り広げられる銃撃戦だ。そこには、市街地での銃撃戦にはない緊張感があった。ビルや、渋滞の騒音、さらには野次馬や目撃者もいない。あるのは、広大な雪原と銃を持つ人のみ。静寂の中突然、銃弾が撃ち込まれ、真っ白な雪が赤く染まる。銃撃戦で高揚した人間の罵詈雑言と、撃たれた者の呻き声が入り乱れ、森の木々にこだましたかと思うと、再び静寂が訪れる。そこには、無数の死体が横たわっていた——。生き残った者だけが、真実を知り、生き残れなかった者は永遠の闇に葬り去られる。法律など、そこには存在していないも同然だった。そして、コーリーはそんな"治外法権"の世界の中で、ある"治外法権"な方法でもって生き延びた加害者に裁きを与える。目には目を歯には歯を——。

 

この土地は凍った地獄だ

何もすることはないし
女とも楽しみとも無縁だ

あるのは雪だけで
どこも静まり返ってる

加害者の一人である男は、このように言う。これは、抑圧した社会が生み出した事件だ。そう言ってしまえば、すべて丸く収まってしまうのだろうか。確かに、非行少年のチップや事件の加害者の言葉は、決して間違いではない、むしろ真実である。しかしながらあくまで彼らは、"非行"、あるいは"殺人"という道を選択したに過ぎない。当然ながらそれをしない、という選択肢もあるのだ。コーリーは言う。

ここでは生き残るか
諦めるかしかない
強さと意思が物を言う
獲物になる鹿は
不運なんじゃなくて弱いんだ 

—— コーリー・ランバート

社会が生み出した弊害によって生まれた憎悪の感情に反発すること。もっと言えば、怒りの矛先を社会そのものに向けたとしても、ここではそのまま破滅していくだけで、決して社会は変わることはない。社会ではなく、自分の中にある憎悪の感情に立ち向かい、格闘する必要がある。"獲物になる鹿"にならないために——。少なくとも、このウインド・リバーという場所においては、こうするしか人間が生き延びることはできない。過酷な自然環境、そして政治的な抑圧によって生み出された弊害は、善人と悪人の両者を平等に苦しませるのである。

 

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