三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

洋画のタイトルの邦訳問題について―アメコミ映画の金字塔、X-MEN・シリーズより

 洋画というものは、日本でプロモーションがなされる以上、そのタイトルの邦訳は避けて通れない。ただ、中にはその邦訳、本当にそれでいいのか、と思わされるようなものもある。例えばアメコミの金字塔、X-Menシリーズを見てみると、第一作の『X-Men』は『X-メン』と、カタカナ表記になっている。かと思うと、続編である『X2』では『X-MEN2』と、"メン"が英語表記に変更され、"MEN"が原題に追加されている。その表記は以後のシリーズでも統一され、3作目となる『X-Men: The Last Stand』は、『X-MEN: ファイナル ディシジョン』と邦訳された。確かに、"ラスト・スタンド"としてもいまいちその意味がピンとこないから、Last Stand (この映画だと、"最後の抵抗"ぐらいの感じか)に近い意味のFinal Decision (最後の決意)したのは中々うまいなと思った。

 

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 スピンオフ作品であるウルヴァリン・シリーズをみてみると、その一作目となる『X-Men Origins: Wolverine』の『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』となっていて、こちらもそのまま"オリジンズ"にするよりも、"ゼロ"としたほうが分かりやすくなるのだろうなと合点した。問題は、2作目の『ウルヴァリン: SAMURAI』である。原題の方は『The Wolverine』となっていて、なんとサムライのサの字も出てこない。日本が舞台となったことで、サムライというワードを出して、関心を煽ろうとしたのかもわからないが、この作品ではウルヴァリンが甲冑を着て、サムライになることはないし、そこまで関係がないのである。しかも、この世界の日本というのはあくまでもアメリカ人から見た日本であるために、日本の本来のイメージとはかなりかけ離れている。新幹線は東京から長崎まで直通しているし、ヤクザはウルヴァリンと新幹線の上で互角の戦いを披露し、さらには忍者のような扮装をしたスパイはいまだに現役で活動しているのだ。

 この作品はむしろ、ウルヴァリンがヒーリングファクターを失って、そのアイデンティティをもう一度見つめなおすような感じで描かれている。そして、作品を内包しているのはかつての恋人ジーン・グレイを自らの手で殺したことによるトラウマだ。そんなウルヴァリンの葛藤の舞台が、アメリカ流の日本だったということにすぎないのである。ただ、日本の配給会社的には『ザ・ウルヴァリン』は、あまりにも安直すぎると考えたのだろうか。やはり"SAMURAI"しかなかったのだろうか。個人的には、原題や内容にそって、『ウルヴァリン: パスト&トローマ("トラウマ"だとカッコ悪いので、こちらはより発音の近いほう)』みたいに訳してもみても良かったのではないかなんて思ったり。ただ、その場合だと、今度はウルヴァリンのトラウマってなんだよ、みたいな突っ込みが入るだろうし、当映画の売りである肝心な"日本感"が一切伝わってこない。これでは、少なくとも日本だと大コケ必須である。

 

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 X-MENの2011年以降の、新三部作はどうかとみていくと、その一発目の『X-Men: First Class』は、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』という邦題になっているから、こちらは原題、あるいは内容と大きな乖離はないといえるだろう。その判断が難しいのは、次作の『X-Men: Days of Future Past』であるが、こちらの邦題はシンプルに『X-MEN: フューチャー&パスト』となっている。原題を訳すと、"未来が過去になるかもしれない日々"という感じだろうか。かなり哲学的な言い回しではあるが、作品の内容が端的に示されている。

 ミュータントを虐殺するロボットであるセンチネルが暴走し、非ミュータントの人間までも殺戮され、荒廃した未来。そこで生き残ったミュータントたちが、わずかな望みをかけ抵抗を続ける中、ウルヴァリンがセンチネルに支配される以前の過去にテレポートし、未来を変えようとする。つまり、未来が過去になるかもしれない日々に行くということなのだ。いやはや、何と深い話なんだろうか。ふと邦題を見てみるとフューチャー&パスト…。確かに過去と未来の話ではあるが、その哲学的な意味をタイトルに内包することはできていない。こうなるともう、カタカナの限界である。かといって強引に日本語で『エックス・メン: 未来が過去になる日々』みたいにすると、アメコミ感、あるいはSF感は一切薄れてしまう。ラヴ・ストーリ―のようにすら見えてくる。なんというか、これは日本語における、カタカナの弊害である。なんとも悲しいことである、とはいっても仕方のないことだが…。

 

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