三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

節分で鬼になるナマハゲ

秋田の節分は、他の都道府県とは少し趣が違っているのかもしれない。というのもナマハゲがベースになっているのだ。ナマハゲといえば、「泣ぐ子(ご)はいねぇがぁ~」という一度はそのフレーズを耳にしたことがあるかもしれない。というかそのフレーズや荒々しいイメージだけが先行してしまっているような気さえもする。ナマハゲは、秋田の風俗を象徴するものの一つで、国の重要無形文化財に指定されている。そして意外にも誤解されがちなのが、この風習は秋田全土にわたるものではなく、男鹿半島周辺で行われてきた限定的な年中行事であるということである。ただまあ、県庁所在地である秋田市の繁華街には演出でナマハゲが登場する居酒屋があったりするし、県のPRポスターでは「Any Bad Kids?(泣く子はいねぇがの意味)」という文字を背景に2体のナマハゲがレイアウトされたものさえあるから、細かいことはあまり気にしなくてもいいのかもしれない。

 

ただ、そこに水を指すように再び誤解の話を続けると、ナマハゲが鬼であるという認識が結構の頻度で見られるということだ。iPhoneなんかでもナマハゲと入力すると、鬼の絵文字(👹)が出てくるように、どうもナマハゲ=鬼という認識が一般的らしい。しかしながら、元来ナマハゲは鬼ではなく来訪神である。決して某人気鬼殺し漫画のように人を食べたり、忌み嫌われたりする存在などではない。来訪神というのは、別次元の世界からくる存在であり、多くの場合、ワラを纏い、仮面を被ったいわゆる異形の姿をしている。来訪神は毎年決まった時期に、人々が住む場所に来訪し練り歩く。面白いことにこれは、全国各地で観られる風習であり、どの地域でも概ねこうしたスタイルがとられている。ナマハゲはあくまで、日本全国に点在したこうした風習の内の一つであるのだという認識を、是非とも持っていただければと思う。

 

毎年大晦日になるとナマハゲは二人一組で、男鹿の真山地区の集落を「泣ぐ子(ご)はいねぇがぁ~」と大声を上げながら練り歩き、各家庭を訪問してはお酌をしてもらう。その様子は子どもたちにとっては恐怖でしかない。大抵の子ども泣き、「好ぎ嫌いしねぇで食(け)や」、「勉強ちゃんとせぇや」というナマハゲの激励に、涙目の震え声で「はい......」というのがお約束となっている。一見、荒々しいバイオレンティックな行事と思われるかもしれないが、ナマハゲには家に上がってすぐ7回、お膳に着く前に5回、立ち上がる際に3回(7・5・3という数字の並びは日本において非常に縁起が良いとされている)、シコを踏むというしきたりがあり、家の主と様々な問答を繰り返したのち、豊作祈願と子どもの健康を願うという、れっきとした神事なのである。ちなみにこのやりとりは男鹿に住む人間以外でも、男鹿真山伝承館(なまはげ館)というところに行けば体験することができるから、興味があれば是非とも行ってみることをオススメする。

namahage.co.jp

強烈なインパクトを残したナマハゲは、大人になってもその恐ろしさが消えることはない。ナマハゲは怖い、という数学者も黙る命題は、次の世代へと受け継がれてゆくのであった——。

 

さて、2月に行われる節分であるが、スーパーマーケットから貰ってきた紙製の鬼の面の裏側にこう書いてあった。

豆まきの由来
宇多天皇の昔、鞍馬山の奥の僧正谷という所に住んでいた鬼神が、都に乱入しようとしたので、三石三斗の豆を煎って、鬼の目をつぶして災疫をのがれたと云うことが始まりであると言われています。

鬼に向かって豆を撒くことで、災いを追い払う――。その意味で鬼という存在を定義するならば、ナマハゲは鬼とは全く異質の存在である。囲炉裏に当たりすぎていると腕や脚にできる斑点を、なもみと呼ぶが、これは出不精の象徴とされている。この"なもみ"を"剥ぐ"(出不精を改めさせる)、"ナモミハギ"が転じてナマハゲと呼ばれるようになったように、ナマハゲは人間の怠惰に渇を入れ、悪いものを取り払ってくれる。そのため決して追い払ってはいけない。むしろ迎え入れ、「悪いものを取り去っていただきありがとうございます、来年もまたよろしくお願いします」と、敬わなければならない存在なのである。

 

とはいっても秋田の人間は、この由緒あるナマハゲ文化を節分に用いる。あれは今でも忘れない、幼稚園時代のこと。今日は節分です、みなさんで豆まきをしましょうね〜。そう言って体育館に連れられしばらくすると、ワラを巻いた、どこからどう見てもナマハゲにしか見えないお面を被った何かが登場した。叫び、逃げ回る園児たち。言わずもがな、大人は「うおー、泣ぐ子はいねぇがぁ」とナマハゲスタイルで子どもたちを牽制し、子どもたちはあくまでも「鬼は外、福は内」という節分の決まり文句を使ってナマハゲ(敬い慕われるべき存在)の格好をした鬼(忌み嫌われる存在)という二律背反状態のバケモノを追い払う。まさに加湿器を焚きながら、除湿器をかけているようなものである。豆を全身に被弾したナマハゲはなす術もなく、帰ってゆくのであった——。

 

これは一般ご家庭の豆まきでも概ね、このスタイルがとられる。父はスーパーで貰った鬼の面をかぶりながら、例によって「泣ぐ子はいねぇが」と大声で威嚇してかかる。当時幼かった筆者は、恐れおののき、泣いていた。ナマハゲになるためには、ナマハゲ伝道師なる資格が必要ではあるが、年々その数は減少し、さらには先ほど書いた男鹿で行われるオーセンティックなナマハゲの年中行事を行う世帯も、減少の一途を辿っているという。これは守っていかなければいけない文化であることは承知しつつ、生活様式が変化した現代においては、致し方ないのかなとも思ってしまう。ナマハゲと節分、クリスマスに大人たちがサンタクロースになるように、秋田の大人たちは皆節分にナマハゲになる。節分とナマハゲは習合し、ナマハゲはその時ばかりは自身の存続をかけて仕方なく鬼になる——。こうして、来訪神の文化の継承を兼ねた、秋田独自の節分スタイルが完成していくのだった——。少子高齢化、若者の県外流出、人口減少......。秋田の将来は決して安泰とは言えたものではないが、この"節分習合ナマハゲ"がある限り、少なくとも精神的な部分に関しては、まだまだいけそうである。

 

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今週のお題「鬼」