三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

三浦的2020年ベスト・アルバム5選——洋楽編 (まえがき)

日本人の筆者からしてみれば、2020年に日本以外の音楽、いわゆる洋楽に実感を伴いながら触れることができる機会というのは皆無であった。もちろん、視聴機器を通じて洋楽に触れることはできたのだが、それはあくまでもデータの集合体の表現の話に過ぎない。実際に会場に足を運び、リアルタイムで生み出される音やアーティストのパフォーマンス、そしてそれらの要素を観客と共有することで生まれるもの。そうしたものを"実感性"とするならば、2020年はそうした体験が全くできなかった。これは、日本の音楽の場合でも同じことが言えるが、海外のアーティストの場合、そもそもの機会の少なさが、その実感性の希薄化に拍車をかけたのだった。

 

昨今、とはいってもここ数十年"グローバル化"、などといって、世界中の人間が国境を越えてシームレスにつながることができるようになってきた。最近でいえば、どこかの国のアーティストがリリースした曲を、全世界にいるリスナーが同時に視聴することができる。あるいは、ある国で起こった抗議デモだとか人種差別を発端とした事件をニュースで知り、場合によっては行動に起こすことだってできる。しかしながら多くの場合、そこに実感性は存在していない(そうでない場合もあるが)。その場所に行くことによってのみ体験できる部分、いわゆる事実以外の"余白"の部分が存在していないのだ。余白というのは、たとえば五感を使ったものから、その国の言語や倫理観などを含んだ、文化まで様々な要素などが挙げることができるが、その他にも様々な要素があるだろう。ここで言いたいのは、映像や文面だけから得ただけでは、ある種の限界があるということなのである。

 

情報の伝播速度の技術というのは著しく進歩しているが、残念ながら人間の方がそれを咀嚼し、実感をもった知見へと落とし込む暇はないように思える(意識的にしない限り)。というより、情報の速度に追いついていけているように見かけ上はみえる、といった方がいいのかもしれない。そうこうしている内にも情報は刻一刻とさらなる変化を遂げ、人間はどんどん希薄化してゆく。こうした言説は、デジタル技術が指数関数的に発展していく1990年代後半から、にわかに言われていることではあるが、2020年、20年以上の時を経て改めて可視化されたように思えてならない。それが可視化されただけならまだしも、新型コロナウイルスの世界的流行は、実感性を伴う行為そのものを徹底的に排除させていった。世界はこうした行為に対して鎖国的にならざるを得なくなってしまったのである。容易に海外に行くことができなくなり、海外の人々もまた日本に来られなくなった。つまり、実感性に関して、"非グローバルな世界"が出来上がってしまったということなのである。情報をスピーディーに得ることはできてもそこから先の体験や行動に落とし込む際、何らかの制限や不都合が生まれてしまうのだ。

 

そんな現在の世の中に立たされた時、筆者は現在、これまで知らず知らずのうちに恩恵を受けてきた実感性の有り難みをひしひしと感じている。 音楽でいえば、実感性を形成する要素である、"余白"の部分がいかに大切だったか。たとえば、野外フェスで突然スコールが降ってきたときに、濃霧の向こう側から流れてきたあの曲、肌にシャツがへばりつき、うだるような暑さの中である曲が演奏された瞬間、頬を撫でる心地よい海風。轟音の後にふと訪れる静寂、余韻、そして地上から聴こえてくる虫の音——。別段なくても成立はするが、あったほうが良いもの——。これはあくまでも一例であり、会場に赴く人、十人十色の余白がそこに存在し、ときにそれらが共鳴したりぶつかり合ったりしてさらなる実感性を組み上げていく。そして、海外からきたアーティストの場合、そこには少なからず異文化や異言語(日本と対比する意味合いにおいて)という要素が加わる。それによって、先ほどのグローバリズムの話でいえば、実感性に関して、非グローバル的だったものが、グローバル化する瞬間が生み出される。これが、日本のアーティストのライブでは体験できない、海外のアーティストによってもたらされる実感性なのである。無論、こうした行為は、家の中でスマートフォンから流れる映像を視聴することでは生まれ得ない。"余白"なるものは、これから再び現れるのか、あるいは軽視されていってしまうのか。それは到底知る由もないが、少なくとも筆者はこの余白からくる実感性に渇望していることは確かだ。

 

ちなみに余談ではあるが、先日発表された〈FUJI ROCK FES. 2021〉のラインナップに、残念ながら海外のアーティストの名前はなかった。音楽フェスを存続させるために、あるいは音楽業界に灯された火を消さないようにするための苦渋の決断であるのだろうが(そもそも海外のアーティストが来日が出来ないという前提があった上で)、こうした状況がしばらく続いていく現実を目の当たりにするとやはり、気分は落ち込むばかりである。……などと、先ほどからああだこうだと言ってきたものの、音楽ないしは洋楽を聴く機会自体というのは、これまでとあまり変わっていないように思える。ただ2020年、その聴き方に関しては大きく変化した。極端に言えば、その年の音楽フェスに登場するような、アーティストを予習するかのように聴くのではなく、これまでに聴いていた楽曲や、頭の中にふと思い浮かんだメロディーの在り処を探るといったように、より直感的かつ、自身の内部にある音楽観のようなものと向き合うことが多くなった(こうした変化は邦楽にも言えることではあるのだが……)。はたしてそんな筆者が選ぶ、2020年の洋楽のベスト・アルバムはどうなっているのか。その発表は次回ということで(もうとっくに2021年になってしまっているというのに!)……。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。

 

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