日本の花火大会は長岡、大曲、土浦がいわゆる"日本三大花火大会"と称される。中でも大曲と土浦は花火「競技」大会であり、全国津々浦々の花火師たちが自慢の花火を空に打ち上げていく。秋田出身の筆者は決まってこう聞かれる。
「秋田の出身ということは、大曲の花火大会は行ったことがあるんですか?」
答えはNOである。花火の当日は人口わずか1万人の場所に当日は70万人が集まる。花火を観るのはよいが、例によって帰宅困難になってしまうのだ。これがあまりにも嫌で、せいぜい例年放映されるテレビの中継で観て、行った気分を味わうくらいにしていたのだった。そもそも出不精の自分は大曲はおろか、有料席の設けられるような花火大会に一度も行ったことがなかった。
とある日。コロナ禍の規制が徐々になくなってきた頃、学生時代の友人たちと集まる機会があった。そこで一人が土浦の花火大会に行かないかと言い出した。彼は毎年花火大会に繰り出してはカメラ席なる場所で撮影をする無類の花火好きであった。なんでも有料の升席だとゆっくり観られるようである。花火観覧の熟練者と一緒にいればひとまず安心だろうということで、2つ返事で行くことに決めたのだった。升席が4人だということで、この日来ていた面々4人で行くことになった。
午後1時頃、土浦に到着する。会場周辺にある武道館に止めようとするもすでに満車であった。個人が所有しているであろう各所にある駐車場には人がおり、「駐車料金 3000円」という看板が掲げられていた。我々は土浦駅の市営の駐車場に車を止め、そこから会場まで歩く。駐車料金は1000円だったと記憶している。11月だというのにこの日は日が照っていて、歩くと少し暑い。会場までの道のりでは、居酒屋がもつ煮だとか焼き鳥だとかを出していた。途中の橋には高いバリケードが張られていた。ここから花火を観ることで生じる渋滞を防ぐ目的であると思われる。道行く人々をみていると、茨城の人たちはファッションが非常に独特であった。前面に大きなロゴがプリントされた服を着ている人や、髪をツンツンに逆立てた金髪の男性、上下真っ黒のスウェットに金銀きらびやかなラメが入った格好をしたカップルなど、忘れかけていた日本の原風景がそこにはあった。北関東のプライドだろうか、その姿は秋田のそれよりもどこか趣を感じた。
会場に近づくにつれ、屋台が増えてくる。独特の香ばしくて甘ったるい匂いが漂う。例にもれず彼らの格好もザ・田舎のチンピラ(失礼)という風貌であり、ある種の美学さえ感じた。たこ焼き、チョコバナナ、焼きそば、お好み焼き、じゃがバター、ポテトフライ、牛串――どれも似たり寄ったりなものばかりである。しょうがないといえばしょうがないのだが、たまにはもっと趣向を凝らしたものを出店してほしいものである。そもそも、今回屋台の出店は認められていないとホームページではアナウンスがされていた。ではここに存在している屋台の数々は何か。否、これは屋台などではない。彼らはイベントを養分に自然発生的に生えてくるキノコようなものなのだろう。限りなく屋台に近いキノコなのである。
会場に隣接する畑やあぜ道には、ブルーシートを敷いた人でごった返していた。中にはそのまま地べたに座っている人もいた。ブルーシートの敷かれた私有地と思われる区画では、1000円という観覧料を取って開放している場所もあった。駐車場同様、ここでも地主パワーが炸裂するということか。ああ、地主になって収入を得たい。届かぬ願いはせめてもこの日の花火に込めることにする。付近の住宅では「水道・トイレ 1000円」という張り紙をしているのを見つけた。みたところ店ではなくいたって普通の民家である。なかなか商売がうまいと思った。というのも、有料席以外の場所にはトイレが設置されていないのである。トイレはその辺で立ち小便をするか、近くのコンビニや公衆トイレに行ってするしかないのである。
有料席は堤防を越えたところにあり、かなりのスペースが設けられていた。ブルーシートに紐で区画分けされたエリアに座る。4人であったが、足を伸ばすとギリギリの広さになった。初めは日が差していて暑いくらいであったが、16時半を過ぎたころから日が沈み、急に冷え込んできた。遠くの方には筑波山も見えている。話によれば、そこからも花火が見えるようである。斜め向かいにいるグループが何やら係員と話しているのが見えた。しばらくすると彼らは出て行ってしまった。どうやらレギュレーション違反があったらしい。升席は飲食は出来るが、アルコール類は禁止であった。確かに彼らはクーラーボックスを持ってきていて、いかにも準備万端で飲んでやろうという感じであったが、退場させられるとは思わなかった。何とも不憫である。
17時15分、レクチャー花火なるものが始まる。花火の種類や10号玉の審査基準などが、実際に花火を打ち上げながら説明される。これはただの花火大会ではなく、花火"競技"大会なのである。部門は10号玉、創造花火、スターマインの3つがあり、各花火業者はその中から2つを選び競い合う。冒頭、某テレビ局の野球中継でおなじみの「JAGUAR」がかかると、対岸の打ち上げ会場にスポットライトが当たり、花火師たちのシルエットが浮かび上がる。なかなかかっこいい登場シーンであった。各花火師の花火はテンポよくポンポンと打ち上がっていく。升席から観る花火は、こちらの方に火花が落ちてくるのではないかと錯覚するほど近く感じた。「ドン!」という和太鼓のような低音は体だけではなく会場全体を震わせる。
プログラムを眺めながら、ここの花火は良いだとか、いまいちコンセプトが分からなかったなどと審査員気取りで観てはいるものの、どれも素晴らしい花火であった。中でも飛びぬけていたのは"野村花火工業"と"紅屋青木煙火店"であった。前者は、花火の色合いが良く、また魅せ方が非常に上手いと思った。花火が重なることなく、ただ上げているだけではなく、それぞれの花火の良さを表現しようとしているのが伝わってきた。後者は音楽との融合である。スターマイン部門は音楽に合わせた演目であるが、ここはそれが一番うまいと思った。花火の音にかき消されることなく、かといって花火のダイナミックさを損なうこともない絶妙なバランスで、秋の夜空にブロードウェイミュージカルのような世界を作り上げていた。
この日一番は、大会提供花火であった。空一面に打ちあがった花火は、写真を撮ろうとしても画角に収まらないほどであった。テレビ観るのとはわけが違う。フィナーレの花火はシンプルな10号玉の構成で、20時半頃に終了する。帰りは人でごった返していた。韓国の梨泰院での痛ましい圧死事件が思い出されるが、動線が確保されているためかそのようなことはなく、流れに任せてひたすら駅に向かって歩いた。駅までの道路は渋滞しており、歩いていた方が早かった。途中、高架下に昭和の趣を残した商店街があり、非常に良かった。505という商店街だったと記憶している。無事に駐車場につき、あとは帰るのみ。土浦市を抜けてからの渋滞は思ったほどではなく、家に到着したのは24時前であった。花火の余韻に浸りながら、眠りにつく。鮮やかな花火の色と重低音が何度もリフレインする。やっぱり花火は実際に生で観た方がいい――。