三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

寄席に行ったある冬の日のこと

仕事が早く終わったので、神田から浅草へ行くことにする。久しぶりに寄席でも観に行こうと思った。その前に、商店街にあるやげん堀で七味唐辛子を購入する。陳皮が多めに入ったものと、山椒を少なめにしたものの二つを注文した。仲見世通りの土産屋は、17時を回るとシャッターを下ろし始める。メンチカツの店だけがやけに行列ができていた。代わりにホッピー通りの方の明かりが目立ち始め、ドン・キホーテや浅草演芸ホールの近くにある昔ながらの飲食店は、夜の営業を始める。寄席の前に、その一角にある蕎麦屋に入る。以前友人と来た時も寄席に行く前だった。店内には一人客が数人いるばかりで、奥の座敷の席に座った。コロナ対策のアクリル板の仕切りでテーブルは仕切られている。壁にずらりと並んだメニューの中から、カレー南蛮を注文する。カレー南蛮にはとろみがあり、麺にうまい具合に絡みつく。一気に食べると汗が噴出してくるが、そこまで気にならない程の辛さである。店を出ると、冬の冷たく乾いた風が心地よかった。

 

18時を回ってから、浅草演芸ホールに入る。その方が少しだけ安く観ることができる。ちなみに19時から入るともっと安くなる。演芸場の中は3割くらいの客で埋まっていただろうか。この日は笑い噺よりも、じっくり聴かせるタイプの噺が良かった。表層的な部分で笑わせようとする芸人たちはことごとく撃沈していた。特にホンキー何某という漫才コンビは痛々しいくらいに"スベって"おり、逆にそういう芸風なのかなと思ってしまうほどであった。この日の噺で印象的だったのは柳家小袁治演じる『一眼国』であった。見世物小屋をやっている男が一儲けしようと画策していると、知り合いから一つ目の女の子をみたという話を聞く。聞いた話の通りの場所に行ってみるとやはり"一つ目"の女の子がいた。欲深い男はその子を捕まえて持ち帰ろうとするが、それが見つかり、逆につくしのようににょきにょきと出てくる、追っ手たちに捕まってしまう。
「面を上げい」
と言われて、顔を上げてみると周りを取り囲むものは皆"一つ目"で、今度は男がその国で見世物小屋行きになってしまうというものである。調べてみるとこの話は『ONE PIECE』のとある話の元ネタにもなっているそうである。吉原の籠屋を題材にした『蔵前駕籠』という噺も良かった。今度は蔵前の辺りを散歩でもしてみたい。

 

トリの五街道雲助演じる『抜け雀』は見事だった。現代にも通用する面白さがあった。齢26、7の一文無しの宿客がつい立に書いた雀はなんと朝日を浴びると、外へ飛び出しては餌をついばみ元に戻ってくるという代物であった。一文無しの客は、実は狩野派の絵の名人であったのだ。雀のうわさは瞬く間に広がり、開店休業だった宿は繁盛する。しばらくして、60過ぎの男性が現れ、雀の絵をみると、
「この絵には抜かりがある」
という風に言い放つ。男は続けざまに、
「雀を休ませる止まり木がなければ、このスズメはいずれ死んでしまうだろう」
と言い、雀の絵に鳥籠と止まり木を書き加えた。それから男は名を名乗らずに「絵を見ればわかる」と言って去っていった。またしばらくして、雀を書いた男が再び宿にやってきた。宿の亭主が雀の絵に籠と止まり木を別の男によって描き加えられたことを伝えると、男はその絵を見るや否や、
「自分の父親が書いたものだ」
といって驚いた。それをなんと親不孝なのだと表現した男。あなたほどの絵の才のある方がなぜ、親不孝なのかと宿の主人が問うと、
「親父を駕籠舁き(かごかき)にしちまったから――」
と"駕籠舁き"と"籠描き"がかかるという洒落たオチで締めくくられる。このオチを少しだけ説明すると、"駕籠舁き"とはかごを担いで人を運び、生業にしている人のことを指すが、その中に代金を吹っかける悪質業者がいて"雲助"と呼ばれ嫌われていた。自分は親父をそんな非礼な人間にさせてしまったと言うのだが、話し手の五街道"雲助"がこのセリフ言ったところにもさらなる面白みを感じる。宿の亭主と宿客、そしてその父親の演じ分けはもちろんのこと、雲助が高座から放つオーラに圧倒された。ゆったりとしていて、けれども要所要所の語りにキレがある。そして何よりも、宿屋の情景が立体的にありありと浮かんできた。まさに、名人芸であった。

 

浅草演芸ホールを出てしばらく歩いてから、そういえばこの隣の建物は先日観た映画『浅草キッド』の舞台であるフランス座であったことを思い出し、その様子を見に引き返してみた。浅草の風景は、ビートたけしが駆け出しの頃から大きく様変わりした。戦後復興の成り上がりのエンターテイメントの中心地から、バブル以降の観光地へ――。その面影を少しでも感じたいと思ったが、上を見上げるとドン・キホーテのキャラクターがでかでかと書かれた看板がギラギラと光っているばかりであった。そういえば、神田から浅草に行く電車の中で、ベビーカーに女の子と目が合った。自分の姪よりも少し小さい頃だろうか。女の子はまっすぐに自分のことを見つめていた。あるいは、その体勢が楽だからただそうしているだけなのかもしれないが、不思議そうにこちらの様子をうかがっていた。子どもに対するまなざしは年々柔らかい方向へと変化している。姪と甥が産まれたことがその契機になったと思えるが、こうして人は変わってゆくのだろう。

 

もともとこの文章を書いたのは2023年1月末のことであった。それから半年ほど月日が流れたつい先日、五街道雲助が重要無形文化財の保持者、いわゆる人間国宝に選ばれたというニュースを観て驚いた。ああ、あの時の――。落語家の括りとしては、五代目柳家小さん、三代目桂米朝、十代目柳家小三治以来4人目のことだという。これまでの3名の人間国宝は皆、鬼籍に入られていて実際の目で観ることは叶わなかった。それが今回の雲助の選定によって、自分は初めて人間国宝の落語を観たということになる。とてもラッキーだったというか、なんだか時間差で儲けた気分になったのであった。