三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

親知らず抜歯ノ記 左側編

親知らずを抜いたから、9月6日は抜歯の日。何のひねりもない、却下だ。俵万智も鼻で笑っている。そもそも、親知らずという名前は何とかならないものだろうか。親知らずは、人生の長さがまだ50年だったころ、子どもが20歳を過ぎたあたりで生えてくる歯の存在を知らぬまま、その親が寿命を迎えてしまうということから、そのように呼ばれ始めたようである。親知らずを抜くことは親には伝えている。むしろ"親知れり"である。緊張の面持ちで近所の歯医者に向かう。受付の女性に
「今日は抜歯ですね~」
と言われ、すぐに"刑場"へと通された。

 

男性の外科医が現れ、
「はい、まずは麻酔をかけますね~、ちょっと強めの麻酔で左半分が痺れる感じになると思います~」
と言われ、直後注射器で歯茎に麻酔が注入されていく。外科医はボサボサの長髪にどの強い眼鏡というステレオタイプなマッドサイエンティスト風の出で立ちであった。30秒ほど経過すると、なるほど舌の感覚がぼんやりとしてきて、しだいに顔の半分も痺れてきた。麻酔が効いているという証拠である。いよいよ親知らずの抜歯が始まる。突然「ウィーン!」という何かが高速で威勢よく回転する音が聞こえ、直後、それが自分の奥歯めがけて突っ込んできた。歯茎に何かが当たっているという感覚はあるのだが痛みはまったくない。骨を削っているのか、あるいは歯を削っているのか、振動が身体中に伝わってくる。親知らずをグリグリとやっていたが、なかなか取れない。これも痛くはないのだが、まったくもって不快な感覚であった。

 

外科医は
「はい、もう終わりますからね~」
と何度も言っておきながら、なかなか終わらない。つまりは苦戦しているようであった。何度も歯を削り進めてようやく抜けた。
「ほら、抜けましたよ~」
まるで、自分の子どもが産まれたときのようなテンションで称える。自分の親知らずは湾曲しながら生えていたようで、それで苦戦したようである。抜いた歯を見せてもらったが、歯の根元の部分が反っていた。下の方の歯は、こういうケースがよくあるらしい。上の歯は2分ほどで終了。左側の上下の歯で30分ほどで終わった。最後に、下の親知らずの抜いた箇所を縫合して一連の"刑"は終了となる。痛み止めと感染予防のための薬を処方してもらった。

 

縫合したとはいえ、出血は続いた。止血のために噛んでいたコットンは真っ赤に染まっていた。麻酔は徐々に切れてきていたため、だんだんと痛みの方が現れてくる。夜は雑炊にすることにした。できる限り処置した場所を傷つけないためである。こういう時に辛いものを食べてはいけない。雑炊を一口入れる。抜歯していない右側に雑炊を移動させ咀嚼する。ところが――すさまじい激痛が走った。温度が高かったため、それが刺激になったようであった。舌をベーと出して鏡を見てみると再度出血もしている。しばらく横になってこのやるせなさと痛さを噛みしめる。雑炊を冷ましながら、ゆっくりと食べた。高齢になると、食べ物が食べ辛いというが、それは歯に何らかのトラブルが生じているためである。「噛むよろこび」というフレーズを入れ歯のCMで聞いたことがあるが、その気持ちが少しだけわかったような気がする。歯は生きていくに重要なツールであるということを痛感した。

 

翌朝、鏡をみてみる。なるほど、やっぱり――。昨日抜歯した親知らずは、かなり骨を削り、歯も分割して抜いていたため、かなり腫れるのではないかと予想していたが、やはり腫れていた。左半分の頬がおたふくのようになっている。痛み止めを飲んではいるが、やはり、痛い。とはいえ、そこまでひどすぎる痛みという感じでもない。この日から普通の白米とおかずを食べた。できる限り抜いていない側の歯を使って噛む。夜になってからまた鏡を見てみる。頬はさらに腫れていた。普段あまり撮らないセルフィ―を思わず撮った。写真をみてみると、左半分が全く別人のようになっていることが分かり笑ってしまった。
「イテテテテ……」
笑うとまた、痛みが襲ってきた。

 

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