三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

皆既月食 回想録

2022年11月8日、18時を過ぎた頃の帰り道、この日は月がきれいだった。雲一つない空に満月がくっきりと見えた。月を眺めつつ電車に乗り、乗り換えのために地上に出たところで、多くの人が空を見上げていることに気が付いた。何かアドバルーンの類でも飛んでいるのだろうか、あるいは未確認飛行物体が飛んでいるのだろうか――。筆者もその視線に合わせて顔をあげてみると、先ほどまで満月だった月が三日月状に変化していた。ああ、そうだった――。そのとき初めてこの日が皆既月食であることに気が付いたのだった。

 

皆既月食とは、月と太陽の間に地球が入り込み、それが一直線になった瞬間に起こる現象である。てっきり前日のことだと勘違いをしていたから少し驚いた。最寄り駅に到着すると、月はさらに欠け、細長くなってきている。欠けた部分は、ぼんやりとオレンジ色になっている。最寄り駅でもたくさんの人が空を見上げていた。仕事帰りと思われるスーツ姿の男性、買い物帰り、レジ袋を持った女性。学生と思われる若者たち――。中には写真を撮っている人もいたが、スマートフォンではさすがに限界があるか。月をきれいに撮るには、それ相応の望遠レンズが必要だ。天王星も含めて一直線になる皆既月食は実に442年ぶりのことだという。前回は1580年。日本では安土桃山時代、織田信長が政権を握っていた時期である。その時の世界は今日のように人々は空を見上げていたのだろうか。そもそも、この現象のことを認識していたのだろうか。

 

技術が発達した現代においても、やはり人の心を動かすものはこうした自然現象なのだということを痛感する。以前読んだ、2011年3月の東日本大震災を取材したルポルタージュ『津波の霊たち―3・11 死と生の物語』の中で、被災された方が、街が津波によって流されていく様子をこのように回顧していた。

その光景は、神山さんにお盆を思い出させた。遠くの世界に戻る霊を見送るために、光に照らされた紙の灯籠が水面をただよう景色そのものだった。「家はすべて、海のなかに消えていきました」と彼は言った。「灯籠流しのように、きれいに一列に並んで防波堤の上を流されていったんです。電柱も、電線でつながれたまま流されていきました。電線は頑丈で、切れなかったんだ。だから原型をとどめたまま、海に呑み込まれていったんだね。不謹慎かもしれないが、きれいな光景でしたよ」

津波が街のすべてを飲み込んでしまう様子をお盆の灯篭流しの光景に重ね、「きれいな光景」と表現していたのが非常に印象に残っている。これは倒錯か。あるいは、圧倒的な自然現象を体感した時、人間はそのように思うようにできているのかもしれない。皆既月食は人類にとって何らかの物質的な被害をもたらすような存在ではないが、こちらもまた、自然の途轍もないダイナミクスの表出であった。誰もがその様子に圧倒され、この日ばかりはスマートフォンでネットサーフィンすることも、自分の趣味に没頭することも忘れ、オレンジ色に染まった月を吸い込まれるかのようにじっと眺めている。老若男女、誰もが、空を眺めている。日常では到底見ることができない光景だ。

 

皆既月食は19時59分がそのピークであるらしく、それまで近所の中華料理屋に行くことにした。店内には人は数組いるばかりで、いつものような活気が全くない。やはり今日ばかりは皆、空を見上げているのだろうか。厨房にいる店員も、外に出ては月の様子を見に行っているようであった。餃子定食を食べ外に出ると、月は完全に欠け、赤く染まっていた。すれ違う人も空を見上げている。例によって自分もその一人だ。東側の低い空に赤いものが光っているのが見えた。初めは何か高層ビルに航空障害灯かと思ったが、どうやら星のようだった。調べてみると赤い光は火星であるらしかった。月食に負けじと、こちらの方も存在感を示している。さらに、その西側には金星も光っていた。広大な宇宙の中にある地球、という実感がたちまち沸き上がってきた。「我々ハ、地球人デアル」。