三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

石焼き芋のおじさん

「いしやーきいも、おいもー。おいもー、おいもー、おいもー――」
と、石焼き芋の口上の音声が外から聞こえてきたので、久しぶりに食べることにした。外に出ると、軽トラックが徐行しながらやってきた。手を上げるとトラックが停止し、石焼き芋のおじさんが降りてきた。煙草をくわえ、スタジアムジャンパーにウグイス色のニット帽子を被っている。荷台部分にはさつま芋の入った段ボールが積まれていて
「大 五〇〇円 中 四〇〇円 小 三〇〇円」
と油性ペンで書かれた板切れがそのすぐ横に下げられている。
「久しぶりだね。今日、仕事は休みかい?」
「ええ、そうです。久しぶりですね、元気でしたか?」
そのように聞くと、おじさんは、
「あいかわらず俺は元気だよ。俺、何歳に見える?」
と聞かれたので、60代ですか?と答えた。こういう年齢を当てる質問は、自分が思っているよりも若い年齢を言うのが常である。けれども今回は割合正直に答えてみた。すると、おじさんは首を横に振って、
「全然全然、80。もう30年ずっとこの仕事をやってるから」
と答えた。まったく驚いた。おじさんの背筋はあまりにもピンとしていて、足取りもしっかりとしている。世間でいえば、老人ホームのような場所にいてもおかしくない年齢に差し掛かっている。やはり、働き続けるということは大事なのだろうか。

 

それからおじさんは自分のこれまでの人生について話し始めた。その声は嬉々としていた。おじさんは、50歳の時に独立して、焼き芋屋を始めたようである。それまでは、各地の祭りの屋台に出店する、いわゆる「テキ屋」をやっていたという。上野、浅草、亀有――祭りがあれば全国各地どこへでも向かった。
「上野だとか浅草で、俺の名前が分からない人はいない。みんな知ってるよ」
おじさんはそのように言っていた。見栄を張ってるようにも思えるが、案外本当なのかもしれない。額に刻まれた皺と黒く焼けた肌は、まさに歴戦の勲章である。おじさんは秋から桜が咲き始める前くらいまで、焼き芋屋として現れる。では、それよりも前の季節は何をしているのかと聞いてみると、
「夏はアイスキャンデー、祭りだと200円、住宅街だと一本150円で売ってる。この辺には来ないね。それで冬は焼き芋やってる」
なるほど、それぞれの季節の需要に合わせた商売をやっているということか。かつては祭りの屋台で啖呵を切って物を売っていたという。口上で何かを売るスタイルというのはめっきり少なくなってきた。チャルメラ、竿竹、そしてこの石焼き芋――。これも時代の流れなのかもしれないが、どこか寂しいものがある。日本の冬の風物詩――。いつものように、大の焼き芋を買う。
「今日はいいのが入っているよ。――いつもありがとうね、大きいのを入れたよ」
そういっておじさんは再び街中に消えていった。焼き芋はアルミホイルに包まれている。アルミホイルをはがすと、赤紫色の芋が出てきた。焦げた部分は丁寧に削り取られ、滑らかなフォルムをしている。所々、黄色と赤紫色のコントラストになった芋を半分に割ると、たちまち湯気が立ち上った。熱々の焼き芋を、目いっぱい息を吹きかけながら頬張る。遠くの方で、石焼き芋の口上が微かに聞こえている。石焼き芋のおじさんは、今日も街に季節を運ぶ。