2022年10月某日。朝7時に起き、朝食を食べ、山登りの準備を進める。この日は父とともに秋田県秋田市仁別にある太平山前岳に登る。フィルムカメラと、母に握ってもらったおにぎりをリュックサックに入れる。この日はこれ以上にないほどの快晴であった。車内では宇多田ヒカルの『BADモード』が流れている。車を20分ほど走らせ、前岳登山口に到着。登山口は*1クアドーム ザ・ブーンというプール施設のすぐ近くにあった。足を伸ばして、軽く準備体操をしたのちに出発する。朝の山の空気を目いっぱい吸い込む。初めの方は、なだらかな登りで両脇にはスギの人工林が広がっている。腐葉土でふかふかの地面を踏みしめる音と、熊除けの鈴の音がシャリンシャリンと響く。「地蔵流れ」という名の通り、地蔵が置いてあるエリアに差し掛かる。
太平山は江戸時代以来、信仰の対象の山とされている。江戸中期の紀行作家、菅江真澄も*2『月のおろちね』にて往時の信仰登山の様子について紹介している。太平山の「太平(たいへい)」は「オイダラ」に漢字を当てたという説もあるのだとか。「オイダラ」というのはアイヌ語で「山の麓の動揺する地」という意味であり、このエリアの地名の仁別(ニベツ)もアイヌ語的な響きを持っていることから、かつてアイヌ文化があったと推測される場所でもある。極めつけはこの登山道に隣接している宿泊研修施設は、*3太平山自然学習センターまんたらめという名前であるが、これもアイヌ語の「源、源流」を意味する言葉であり、マンタラメという地名に基づいて命名されたのだった。しばらく進んでいくと、*4太平山スキー場オーパスのコースがみえてきた。スキー場のコースへ向かう道には熊のフンがあり、大量のハエが沸いていた。夏のスキー場のコースは草花が生い茂っていた。そこで昼食を取ることにして、再び登山道に引き返す。
人工林のエリアから、天然林のエリアに差し掛かると、途端に登りが急になってくる。この辺りで自分が先頭を行くことにし、父がその後ろからついてくることになった。上着を脱ぎ、半袖になって歩く。木の根と岩石が絡み合った階段状の道を進んでいくと、汗が止まらなくなってきた。ふと後ろを振り返ってみると、至って涼しい顔をして登ってきている父の姿があった。自分がヒーヒー言っている高さの段差を、父は両手を後ろに組み、一歩一歩感触を確かめながら、軽やかに登っている。まさに仙人のような歩き方である。何かを突き詰めることを、柔道だとか野球道などという風に形容することがあるが山登りは何だろう。登山道だとちょっとかっこ悪い。たとえば――山岳道なるものがあるとすれば、それを極めようとしているように見えた。
山には色々な人がいる。山から下りてくる人と何人かすれ違った。病後の体力づくりで登っているという人がいたかと思うと、老婦人二人組が軽快な足取りで下って行ったりする。つくづく登山は年齢は関係ないのだということに気づかされる。やがて高地に生息するブナの木々が目立ち始め、最後の難所に差し掛かる。父から登り方のアドバイスを後ろから受ける。呼吸は2回吸って2回吐く。足を置く位置は一回で決める。足を引きずらず振り子のようにしながら歩く――。父は学生時代山岳部であった。若い頃は、冬山登山をし、そのままスキーで滑って帰ってきたのだという。いわゆるバックカントリースキーというものである。対する息子はというと、軽音サークルに入り浸り、しょっぱい音楽をかき鳴らしているばかりであった。休憩中、ひと口ソースカツというスナック菓子を食べた。濃いソース味と、サクサクと心地よい触感が体の疲れを紛らわせてくれる。山登りの時に食べるお菓子はどうしてこんなにも美味しいのだろう。
この日のゴール地点である前岳の女人堂には、10時半頃に到着した。父は全く疲れていない様子である。先々週、2000メートル級の鳥海山に登ってきたらしい。それと比べると、ウォーミングアップのようなものなのだろう。既に60を過ぎているが、その体力は確実に自分よりもあるだろう。山頂のベンチで持ってきていたパンを食べた。*5たけや製パンのビスケットパンとクリームパンを父と半分ずつ食べる。甘さが体中にしみわたり、全身から疲れがふっと抜けていくのを感じる。持ってきていたPENTAXのフィルムカメラで風景を撮影する。秋田市の風景が一望できる。海岸沿いに風力発電機か微かにみえた。それから父を撮影する。絞りとシャッタースピードを設定しながら、ファインダー内の信号の色が赤から緑に変わるところに合わせシャッターを下ろす。アナログであるが、写真を撮っているという行為がより実感を持ってくる。
「ほら、あれ見でみれ」
父が指をさした方角にクマタカが一羽、上空を飛んでいた。尾羽が扇型になっていて、トビよりも一回り小さい。青空を背景に、市松模様のような白黒のマダラのコントラストの体がとても美しい。
父にカメラを渡し、今度は自分ことを撮ってもらう。父が高校時代に使っていたモデルということもあり、その扱い方に慣れていた。スマートフォンやパソコンの扱いになると急に20歳位歳を取ってしまうが、こうしたアナログ機械製品となると、途端に生き生きとし始めるのが不思議で堪らない。前岳をしばらく進んでいくと、広場のようになっている場所に、地蔵が複数体置かれた場所があった。何かのきっかけで一か所に集められたようにも見えた。中には首が無いものもある。風化の過程で折れてしまったのか。あるいは廃仏毀釈で壊されてしまったのだろうか――。前岳にはかつて山小屋があったというが、火事で焼失してしまい、今は簡易的なお堂が設置されているだけであった。
下山は早い。膝を痛めないよう衝撃を吸収しながら下っていく。スキー場、リフトの降り口のテラス状になっている場所で昼食のおにぎりを頬張る。具は鮭のおにぎりであった。ここから眺める景色もなかなか見晴らしがよかった。もう数か月もすれば、辺り一面雪景色になる。下山中はかつての登山道を探した。「四ツ辻」という場所から、かつての道を推測し、それらしい道を見つける。不思議なことにうっそうと草木が生い茂っているにも関わらず、かつての道の面影がぼんやり浮かび上がってきた。だんだんと気温が上がり、草花が増えてくると地上に近づいているのを感じる。抜かるむ道に何度も足を滑らせそうになる。下山のときもやっぱり父は散歩をするような感覚で軽快に降りていく。まったく、父の足元にも及ばない。そもそも足元がおぼついていなかった――。父と山登りに行った日のこと。
*1:子ども時代、夏休みに大変お世話になった施設である。秋田市の子どもたちは皆、ここにきて遊ぶ。余談であるが、この施設の由来は、クア:ドイツ語で温泉の意味。ドーム:英語で円天井、円屋根の意味。ザ:英語で定冠詞、強調の意味で使用。ブーン:英語で楽しい・愉快の意味。つまりは、ドーム型の屋根をもつ温泉施設で、楽しく愉快に遊んでもらいたい。という願いが込められているようである。
*2:『月のおろちね』についてはこちらのサイトに大変分かりやすくまとめられている。sugae-masumi.jimdofree.com
また、秋田県立博物館のホームページにある菅江真澄ライブラリーではその原本がデータ化されており参照することも可能である。
*3:筆者が小中学生の頃の宿泊研修はここであった。当時はまだできたばかりの頃であり、大変快適に過ごした記憶がある。ベッドメーキング、屋外でのカレー作り、キャンプファイヤー、誰もいない部屋で聞こえてくる声、心霊写真――。自然の中、普段とは違う生活をした記憶というのは今でも鮮明に残っているものである。
*4:秋田市に住む人間が行くスキー場と言えば、協和スキー場かここかといったところである。こちらは比較的初級者でも滑りやすいコースが整備されている。
*5:秋田でお馴染みのパンの製造メーカーである。店頭では業務提携している山崎製パンと肩を並べる。「まるごとバナナ」の元祖的な商品「バナナボート」はぜひ一度食べてもらいたい逸品である。