三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

花蕾と残雪の卒業式

中学校の卒業式当日。2年生の自分たちは先に体育館に入り、整然と並べられたパイプ椅子に腰かける。いつもは授業や部活動で使っている何の変哲もない窓は紅白幕で覆われ、演台には荘厳な盆栽が飾られている。来賓席と教員の席のテーブルの上からは白い布がかけられている。それだけでそれっぽくなるから不思議だ。ゴーッというジェット機のエンジンのようなストーブの音が響き渡る。少し近づくだけで、丸焦げになってしまいそうなくらいの代物。普段の朝の集会や体育なんかでは絶対出てこない。だんだんと、体育館全体が緊張感に満ちてくるのを感じる。予行練習は飽き飽きするほどやった。
「今日の5時間目は卒業式の練習です」
あーいやだ。暖かい教室の中で自習させてくれ。練習中は、
「それが、卒業生を送る態度ですか?」
なんていうお決まりの叱咤激励が飛ぶ。まったく、知ったこっちゃないっつーの。あの面倒くさい合唱も、今日で終わるのかと思うと晴れやかだ。野球部の練習もこの日ばかりはお休み。

 

保護者が入場してくると、香水が混じり合ったむせ返るような匂いが漂ってくる。いつも軽装でジャージなんか着ちゃってる先生も、この日は余所行きのスーツを着ているから新鮮だ。
「卒業生が入場します。皆さん拍手でお迎えください」
というアナウンスを合図に、吹奏楽部の演奏が始まると間もなく、担任を先頭に卒業生が入場してくる。野球部の先輩たちも列の中にちらほら現れる。女の先生は造花を全身に身に着けたのかと錯覚するくらい派手な格好をしていた。いつも注意ばっかりされて不貞腐れている先輩も、この日はどこか緊張の面持ちだ。卒業生の入場が終わると
「一同、ご起立願います」
というアナウンスを合図に会場の全員が立ち上がり、パイプ椅子が僅かにきしむ音が重なる。「君が代」斉唱。それから卒業証書授与式へ移っていく。担任の教員が一人一人の名前を呼ぶと、卒業生はその場で返事をし立ち上がる。返事や立ち方もさまざまだ。何かに反抗するように気だるそうにゆっくり立ち上がる人、椅子に足をぶつけ失笑を誘う人、すくっと立ち上がるのは大抵はクラスの"真面目クン"だ。部活をやっている生徒の中でもやはり野球部の声はよく通っていた。その頭は引退から半年以上が経過し、すっかり髪が伸びていた。高校の野球部はどこも大変だと聞く。高校でも野球を続ける人たちはどのくらいいるのだろうか。自分もあと1年も経たないうちに野球部を引退してしまう。おそらく高校で続けることはないだろう。だって、高校にもなって坊主になるのは絶対イヤだもの。

 

卒業証書授与が終わると、校長やらPTA会長やらの祝辞が始まる。在学中の思い出を胸に、新たな場所でも頑張ってほしいという内容をああでもないこうでもないと、引き延ばし引き延ばし話していく。PTA会長は仲のいい友達のお父さんだから申し訳ないと思って耳を傾ける。それでも話にウトウトしかけていると、最後、歌のパートに差し掛かった。最初は在校生の歌。ピアノの伴奏に合わせ「旅立ちの日に」を歌う。この曲は歌いすぎてCMなんかでかかるたびに嫌気がさしてくるほどだった。とはいってもきれいにハーモニーが響き渡るのは気持ちが良い。卒業生の"別れの言葉"はそのあとに挿入される。
「私たちは、卒業します!(卒業します!)」
みたいなしょうもないやつ。たぶんこの台本を考えた先生たちだけが満足する、究極のマスターベーションだ。卒業生の歌は「巣立ちの歌」だった。この曲の方が「旅立ちの日に」よりもずっとエモーショナルで涙を誘ってくる。もちろん涙なんか流れてこなかった。そして校歌斉唱。卒業生にとってはこれが最後の斉唱だ。壇上で涙を流している生徒もちらほら見つけた。よっぽど楽しい学校生活だったんだろうなぁ――。

 

卒業式の記憶は概ねこのようなものである。感慨は別にないが、こうして書いていくと、あの日の気温や匂いが鮮明によみがえってくる。大抵の年は外に雪が残り、ちらちらと雪が降っていることもあった。雪解け水で正面玄関のアスファルトは湿っていて、校庭に植えられている桜はまだ蕾だった。桜と言えば、ドラマやアニメなんかでは卒業式だとか入学式で咲き乱れているイメージがあるが、北国の場合はそうではない。自分の卒業式のことは――それこそ本当に記憶がない。最後のホームルームが終わって解散した後、学校の玄関前で友達と写真を撮ったぐらいだろうか。卒業式は2011年3月9日、東日本大震災の2日前に行われた。高校入試の合格発表は、3月12日のことだったから、式どころではなかったのかもしれない(結局震災の影響で合格発表は16日に延期された)。卒業式というのは感動的なものと思われがちであるが、思い返してみると案外そんなことはない。第一志望の高校に落ちていたらどうしよう、滑り止めの高校は絶対にイヤだ。ようやくあのクソみたいな中学校生活ともオサラバできる。春休みは何をしようかな――。そんなことばかりを考えていた。

 

中学校生活最後の日もいつも一緒に帰っている友人と一緒に帰った。もしかしたら感情がこみあげてきたのはその時が唯一だったかもしれない。除雪機で道路の端に寄せられた雪が溶け、捨てられた空き缶やゴミや、犬のフンがあらわになってきていた。知らないふりして、友人をフンの落ちている方へ押して、間一髪で友人が避けるというお決まり事をする。
「おい!おまえー!」
「悪い悪い、ちょっと足が滑っちゃってね――」
この通学路はかつてのものになり、今隣にいる友人も自分とは別の高校に入学する。そうか、この日常は今日で最後なのか—―。とはいえ、別れ際はいつものような感じだった。
「じゃ、また」
「じゃ」
それぞれが違う方に向かって。振り返らずに歩いていく。北国の春はまだ遠い。