はい、確かに。コートは着ておりませんでした——。そのように供述するのは、高校卒業まで秋田で生まれ育った筆者である。この言説は、数年前『月曜から夜ふかし』という番組で「秋田県の男子高校生どんなに寒くてもコート着ない問題」という風にして取り上げられ、たちまち全国区な話題に躍り出た。番組内では、街頭の男子高校生たちは北国の猛烈な吹雪に屈することなく、学ラン姿でポケットに手を入れ体を縮こませながら歩いている様子が映し出され、そんな高校生たちにインタビューをする。なぜコートを着ないのか、という問いに対しては、その方がかっこいいからという風に答え、それを女子高校生に伝えると、いや、それはダサいと思う、と一蹴される一幕があった。うーん、なんて寒そうなのだろう。そして、なんと哀れなのだろう——。とはいえ自分もかつてはそうであった。何を他人事のように嘲笑しているのだ。
当時のことを思い返してみる。——そうだ、確かに中学校3年、中学校3年までは、確かにコートではないが、ダウンジャケットを着ていた記憶がある。ところが、高校1年生になってその流れは変わる。周りの男どもが誰もコートを着なくなったのだ。そこにはまるでコートという存在を忘れ去ってしまったかのような佇まいすらあった。部屋のクローゼットに仕舞い込まれたダウンジャケットには埃が被っていく。真冬の秋田は、地球が温暖化してきているとはいえ氷点下10度くらいまで冷え込む日もある。コートを始めとした上着を着なければ、命の危機に関わる。晴れている日は、なんとか我慢できるのかもしれないが、吹雪いている日はたまったもんではない。ではどうするのか。ここからは、当時のとある朝の風景を描写してみたい。
朝の情報番組の片隅のテロップに流れている天気予報、気温の表示は氷点下7度。窓の外を眺めてみると雪が横殴りに降っている。ああ、今日も外は寒いんだろうだなぁ、などと言いながら、高校生の筆者は眠そうな目を擦りながら学校に行く支度をし始めた。まずは、下着である。天下のユニクロが生み出した画期的な防寒アイテム、ヒートテックを装着する。もちろん長袖だ。その上にロングTシャツ、セーターを着て、その上に部活で使用するジャージ上下を身に纏う。そしてようやく、学ランの上下を着て完成。コートを着ない分、学ランまでのプロセスにおいてひたすらに重ね着して寒さを凌ごうという算段であった。いやはや重ね着で、オシャレを見出そうとする姿勢。さすがは小野小町の生誕の地の高校生、十二単をリスペクトするとはなんとも雅ではないか。
筆者はその"十二単防寒スタイル"にマフラーと手袋をし、冬用の靴を履いて行ったが、さらなる強者は素手で革靴、マフラーさえも巻かないスタイルであった。この強者は比較的運動部に多い傾向があった。これは別段特殊な訓練を行っているだとか、秋田県民は寒さを感じない特異体質であるといったわけではない。もちろん、寒い。にもかかわらず、なぜコートを着なかったのかという問いに対しては、やはり、かっこいいからという一言に集約される。
「おめ、何、コートなんて女々しいもん着てるなや、男らしぐねえべ——」
曲がったダンディズムは秋田の男子高校生の間で横行し、それは先輩から後輩へと受け継がれ、負のスパイラルへと突入していく。コートを着ないのはかっこいい、コートを着ないのはかっこいい——。ところが筆者は天邪鬼であった。そんな、半ば洗脳のような言説に対して疑問を抱き始めたのは高校2年生の冬のこと。サイズが合わないと言って父から譲り受けたコートを試しに羽織ったのがきっかけであった。——ああ、暖かい。数万年前、ネアンデルタール人はマンモスの毛皮を羽織り、同じことを思ったのだろうか。それから筆者は、負のスパイラルを断ち切るかのごとく、コートを着始めた。この抵抗(レジスタンス)は、筆者が当時所属していた部活内に伝播していく。するとどうだろう、途端にコートを着ていない人間がかっこ悪く見えてきた。よく、タバコを辞めると、タバコが嫌いになるというがそれに少し似ているのかもしれない。
高校時代のとある日の帰り道。中学時代の後輩とばったり会ったことがある。この日も道路はスケートリンクのように凍り、吐く息は白く、気温の低い特有のサラサラとした雪が舞っていた。
「あ、三浦さーん、お久しぶりです。もーコートなんか着ちゃって。サラリーマンみたいですよー」
彼は筆者に対してそのように言ってきた。無論、彼はコートなど着ていない。その足元を見ると、革靴を履いており、時折手袋をしていない手を口元に近づけてはフーッと息を吐き刹那の暖をとっている。マフラーやネックウォーマー等も着けておらず、頬は赤く染まっている。こ、これは——敬虔な秋田の男子高校生のダンディズムの継承者であるとみた。
「そ、そうかな。でもね、あったかいんだよ、これ」
そう言い終わる前に、青年は、鼻水をすすり体を小刻みに震わせた——。今の高校生はどうなのだろう。この曲がったダンディズムが続いているとすれば、もはや無形文化財の領域である。