三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

東京オリンピック 回想録

2020年に延期された東京オリンピックは、その1年後の2021年、無観客で開催された。その頃の音楽業界といえば、日本国外のアーティストは誰一人として来られないという鎖国状況であった。SUMMER SONICは中止、そしてFUJIROCK FESTIVALも日本国内のアーティストのみの開催となった。一方でオリンピックの各国の選手団一行は、長崎出島さながらの入国を果たす。ここで言及をしたいのは、大会の選手たちの躍動などではなく、その開会式と閉会式である。オリンピックといえば、国の威信をかけた大イベントであり、特にその開会式と閉会式は、国力はおろかその国のエンターテイメントなるものがどの程度のものであるのかが如実に露呈してしまう舞台でもあるのだ。

 

思い出すのは2012年のロンドンオリンピック。当時高校生の筆者は、イギリスのビッグネームが集う夢の式典に夜も眠れなくなったのを今でも覚えている――。開会式の冒頭、エリザベス女王がダニエル・クレイグ演じる007のジェームズ・ボンドと共に登場する。オーケストラによる「炎のランナー」が演奏されるパートでは、ミスター・ビーンでお馴染みローワン・アトキンソンが乱入し会場を沸かせる。Arctic Monkeyは、代表曲「I Bet You Look Good on the Dancefloor」とThe Beatlesの「Something」のカバーを披露。そして聖火点灯後は、ポール・マッカートニーの「Hey Jude」で観客、選手団を巻き込んだ大合唱が行われ、あまりにも華やかに幕が上がる。

 

閉会式は、デヴィッド・ボウイやジョン・レノン、フレディ・マーキュリーのレジェンドたちが映像出演をし、Queenのブライアン・メイとロジャー・テイラーはジェシー・Jと共に「We Will Rock You」を披露。大会オフィシャルテーマソングを手掛けたMuseは「Survival」を、The Beady EyeはOasisの「Wonderwall」を、この大会のために再結成されたSpice Girlsは、「Wannabe」を披露した。その他にも、ここに書ききれないくらいの様々なアーティストが開会式を盛り上げた。そして大トリはThe Whoが「My Generation」を含むメドレーで締めくくり「英国音楽のシンフォニー(A Symphony of British Music)」のテーマにふさわしい豪華な式典となった。

 

某掲示板にて、東京オリンピックの招聘期間中に、以下のような文章が書きこまれた。以下は、その文章である。

【東京オリンピックの開会式(予定) 】

オープニングアクトは、嵐やら関ジャニやら出演の「ジャニーズ夢のコラボ」
選手入場、アニメキャラ(ドラえもん)が各国の紹介
EXILEのメンバーを乗せたお神輿が登場、なんかやたら歌い騒ぐ
石原伸太郎名誉都知事(仮)による開会宣言。話の大半は1964年の東京五輪の話題
AKBメンバーが秋葉原から国立競技場まで聖火リレー 、最終走者は谷亮子
と思いきや長嶋茂雄がヨロヨロしながら登場、実況席の徳光和夫号泣
SMAPの世界に一つだけの花(生歌)をBGMに点火
東京音頭が鳴り響き、獅子舞やらが踊り狂う
和田アキ子によるWE ARE THE WORLDアカペラ
やたら花火が打ち上げられる

この文章は、先に書いたロンドンオリンピックの開会式と閉会式受け、日本の場合はどんなアーティストが出るだろうかという予想のようなものの一つだったと記憶している。ロンドンオリンピックと比較して、日本はどうせこんなオリンピックになるだろうという、匿名の一個人による偏見にまみれた文章ではあるが、今あらためて見返してみると、なかなか興味深い"資料"になっている。

 

文章を見てみると、この10年で、日本のエンタメ業界が大きく変化をしたということがわかる。ジャニーズ事務所の所属アーティストはここ数年で解散や活動休止が相次いだ。ここに書かれているSMAPは2021年は既に解散をしており、嵐も2020年に無期限の活動休止をした。当時の日本は、AKB48を筆頭に、次々とアイドルグループが乱立し、"アイドル戦国時代"などと呼ばれ、CD売り上げランキングをアイドルグループが独占するという事態になった。握手券付きCDなどという、フィジカル媒体の特典文化もこの頃から過熱化してきた感がある。そのためAKB48の記述は、行き過ぎた商業主義に対する嘲笑の意味も込められている。当時は女性アイドルグループのみならず、ここにも記載されているEXILEをはじめとする、男性アイドルグループの人気も絶頂であった。世間でバンドというものの力が相対的に失われてきたのもこのあたりだったような気がする。

 

この予想は先ほど、自虐の意味が込められていると書いたが、どうも2021年の東京オリンピックの開会式と閉会式を見た後にこれを見ると、もしかすると、こっちの方が良かったのではないか、という感情が生まれてきてしまった。少なくとも――2016年まではまだ自虐で片付いていた。リオオリンピックの閉会式のリオデジャネイロから東京への五輪旗の授受を行うフラッグハンドオーバーセレモニー――日本の新旧の文化を織り交ぜたスタイリッシュかつ独創的な演出に、日本のクリエイターの創造の結晶のようなものをみた。これは、世界に誇れるオリンピックになるのではないか――。まがい物のナショナリズムのようなものがたちまち高揚してくる。創造の結晶はさらに大きくなり、輝きを増し、2020年の東京オリンピックで更なるものを期待していたが、その結晶は2020年、バラバラと崩れていってしまう。新型コロナウイルスの流行による延期、それによって、MIKIKOや椎名林檎、野村萬斎などの当初の東京オリンピックの開閉会式の演出チームが解散し、急遽新たなチームが再編成される事態に陥った。さらにその演出チームも過去の発言が蒸し返され、佐々木宏クリエイティブディレクターの解任、演出担当の小林賢太郎や小山田圭吾らが相次いで解任されるという悶着があった。

 

誰が見てもわかるような準備不足の中、ついに東京オリンピック開会式当日を迎えてしまう。思わず目をそむけたくなったが、筆者は最初から最後までその雄姿を見届けることにした。莫大な国費を注いだはずなのだから、それなりのものにはなっているはずだ――ところが、不思議なことに学園祭の催し物だとか、学習発表会だとかそういう類のものにしか見えてこなかった。いや、まだ学園祭や学習発表会の方が良いのかもしれない。こういうものを見せたいという軸のようなものが存在しているからだ。東京オリンピックの開会式と閉会式からは残念ながらそれが全く感じられなかった。日本の伝統文化と呼ばれているものを、ざっくばらんに継ぎ接ぎをし、あれをして欲しい、これをして欲しいという様々な団体の声を丁寧に反映させた"賜物"なのであった。

 

これは日本のエンターテイメントの敗北であったといえよう。オリンピックというのは選手こそ主役ということは全く持って確かなことであるが、その敗北に関しては、それとは全く切り離すべきな深刻な事態である。新型コロナウイルスのパンデミックが起こってしまったからしょうがない――果たして、本当にそれだけが理由なのだろうか。これまでの日本における発注者のクリエイターに対する扱いや両者の関係性、さらには大衆の芸術に対する関心度も大きく関わっているはずである。その結果が、あのようなものとして反映されたにすぎないのではないだろうか。57年ぶりの祭典は、2021年もっとも悲しいハイライトシーンとなってしまった。