三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

あくまでも素直に受け入れるべき世界——スピッツ「大好物」レビュー

言葉の一つ一つの意味を追うことも、紡がれた言葉にどのような意味が隠れているのか考えることも要らない。これは、何かのメタファーなどではなく、あくまでも素直に受け入れるべき世界なのかもしれない。まるで子どもが絵本という空想の世界の中へ疑いなく没頭していくように——。ひとたび楽曲に耳を傾けると、読み聞かせされているときのような感覚が包み込んでゆく。読み聞かせというのは、絵本という平面的なものを補足し、立体的なものへと充足させる。絵の中のキャラクターたちは静止画から動画となり、さらにはVR(仮想現実)のように現実とは似ても似つかぬ世界が構築されてゆく。

この広がりは、スピッツの「大好物」でも同様なことが言える。楽曲がパッケージングされたデータファイルは空気の振動となり、耳から脳内に入り込んでいく。楽曲から流れてくる音や言葉は相互に作用しあい、世界は脳内で広がりを見せ躍動し始める。草野マサムネの歌声は、本作の"物語"の語り部のようである。世界を邪魔することなく、かといって淡々としすぎているわけでもない。節度を持った抑揚をもって、実感を伴うものへと昇華させていくのであった。

ここからは、そんな楽曲の物語について、筆者の頭の中に浮かび上がってきたものを記していくことにしたい。ただ、冒頭でも述べたように言葉のメタファーの部分を熟考するのではなく、素直に受け入れた結果見えてきたものにとどめる。まずは、登場するキャラクター像についてであるが、人間ではない、何か小さな妖精のようなものが躍動する姿が想起された。そのように思わせたのは冒頭の〈つまようじでつつくだけで 壊れちゃいそうな部屋〉という一節が関わっている。"つまようじでつつく"という、いわば一寸法師のようなサイズ感の形容からは、人間から遠いところにいる生き物、けれども、続く"壊れちゃいそうな部屋"という部分で、ある程度の文明が築かれているということが連想されるのだ。まるで画家、*1藤城清治の描く影絵のような、落ち着いた煌びやかさの中に、無邪気なこびとたちが息づいているような世界だ。冒頭の、しかもわずか一節だけで、このミニマムな世界のなかに生活が息づいていることを表現しきったことは、のちに続く歌詞の物語性を強固にさせる効果があるといえるだろう。

続いて、この物語の舞台についてであるが、妖精のような存在が登場するという一見ファンタジックさを持ちあわせながら、どこか日本の土着的な匂いを感じる。楽曲が全編を通して日本語で書かれたという根本的な要因はひとまず置いておいて、歌詞に"ダルマ"や"鬼"が登場していることに注目したい。まさしくこれらは、"日本なるもの"を象徴するキーワードとなっていると言ってもいい。ただ、それらは物語の中で主張しすぎないことで、土着的なものを"匂わせる"にとどめている。言うならば、物語の舞台を彩るモブキャラクターであり、背景のような役割である。

前者は〈ワケもなく頑固すぎた ダルマにくすぐり入れて〉で登場するが、"くすぐり入れて"というのが効いている。妖精のような存在が、意固地なダルマにちょっかいを出す様子が想像できるし(その描写からは彼らの好奇心旺盛な一面もうかがえる)、何よりもダルマが置物としての静物ではなく、そこの世界では動く物として存在していることが暗示される。後者は〈時で凍えた鬼の耳も 温かくなり〉の中で現れる言葉であるが、ここでは忌避されるべき悪者としての鬼ではなく、むしろ同情すべき可哀想な存在としてのニュアンスさえ漂う。

また、この部分には時間的な要素も含まれている。冒頭で明示された、"冬の終わり"という季節。そこから、話が進むにつれて徐々に物語の中の温度が上昇し、暖かくなっていく感覚を覚えるのは、中盤以降の"幸せのタネは芽ばえてる"、そしてこの"温かくなり"、さらには"呪いの歌は小鳥達に彩られてく"という言葉が作用してくるからであろう。冬の終わりから、春のはじまりに向かってゆく時間の流れ——。雪が解け、地肌が露になってくると、わずかばかりの草の芽が芽吹いているのが見える。裸になった木々にも蕾が膨らんでいて、開花を待ち望んでいる。動物たちは、ねぐらから目を覚まし、春の陽光を目いっぱい浴びている。色が抜け落ちていった冬の景色が、雪解けとともに、だんだんと生気に満ちて色を帯びてくる。いつの時代も変わることなく巡る季節の営みが、この物語の時を表現しているのである。

ここまで、本作の物語のキャラクター像、舞台、時について記してきたが、本作に関しては、歌詞の意味を逐語的に分析をするなどという行為は甚だ無意味であるように思える。一行だけでは読み取ってはいけない。たとえば〈君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き〉という一節は、楽曲のサビとして、強いメッセージになり得ると言えるが、全体を通して俯瞰して味わってみると、日常の一幕でふとこぼれ出た一言のようにさらりと流れていってしまう。また、「大好物」というタイトルはもちろんのこと、食を連想させる"つまようじ"、"甘い味"、"生からこんがり"という単語が随所に散りばめられているが、これもまた、あくまでも物語を飾る一要素にすぎず、主題にはなっていない。文節同士が作用しあったとき、はじめてその世界が浮かび上がることで、一見すると置物のようだった言葉でも生き生きとし、物語を構築する要素となっていくのである。

逆説的にいえばこれは、パンチラインが存在しない、絵本のように平易な詞であるともいえるが、余白の残し方によって陳腐なものには決して成り下がってはいない。先に書いてきた本作のキャラクター像や場所、時というのは文脈の中である程度明示的に浮かび上がってきたものであるが、それ以外の要素というのは聴く者にどこまでも委ねられている。たとえば、歌詞に登場する、"新しいキャラたち"という言葉は、単体では力を持つことはないが、物語を形成する諸々の要素と合わさることで、広がりの可能性を無限大にする言葉になっている。そこに説明などは必要ない。歌詞と歌詞が余白という透明な糸でつながっているだけで十分なのである。近年の、特に2019年の『見っけ』以降の草野マサムネが描く世界というのは、抽象的で概念的なマクロなものから、よりミクロな視点に立ったものにシフトしてきているような印象を受ける。気負いのない、どこまでも素直な表現。傍観者ではなく、語り部。本作ではそれらが一つの型、到達点として表現された楽曲といえるのではないだろうか。

 

「大好物」

つまようじでつつくだけで 壊れちゃいそうな部屋から
連れ出してくれたのは 冬の終わり
ワケもなく頑固すぎた ダルマにくすぐり入れて
笑顔の甘い味を はじめて知った

君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
期待外れなのに いとおしく
忘れられた絵の上で 新しいキャラたちと踊ろう
続いてく 色を変えながら

吸って吐いてやっとみえるでしょ 生からこんがりとグラデーション
日によって違う味にも 未来があった

君がくれた言葉は 今じゃ魔法の力を持ち
低く飛ぶ心を 軽くする
うつろなようでほらまだ 幸せのタネは芽ばえてる
もうしばらく 手を離さないで

時で凍えた鬼の耳も 温かくなり
呪いの歌は小鳥達に彩られてく やわらかく

君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
そんなこと言う自分に 笑えてくる

取り戻したリズムで 新しいキャラたちと踊ろう
続いてく 色を変えながら

 

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*1:日本を代表する影絵作家。90歳を越えてもなお精力的に活動を続けている。

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