原初的な音楽体験に限りなく近い感動——。
近代以降、特に20世紀初頭の音楽というのは、一回性のものであった。民衆は会場に集まり、同じ空間を共有しながら、その時限りの音に耳を傾ける。それがたとえ、以前に演奏された楽曲と同じであっても、無論、演奏に関わる人間が同じであっても、その時と全く持って同じように演奏することは不可能であった。そんな一回性の演奏、あるいは歌声の再現ができるようになったのは、蓄音機から始まる録音技術の向上、そしてレコードを始めとする記録媒体の発明に帰結する。民衆は会場に行かずして、個々人の部屋で、当時の演奏が再現されたものを聴くことができるようになった——。それが時を経て次第に、商業的な生産や消費、さらには運搬が主な目的となってくると、録音や記録物としてのレコードの意味合いは、相対的に希薄化していくことになる。つまり、音楽における一回性とその再現という原初的な意味合いの比重が、小さくなってきたということなのである。
宮本浩次の『ROMANCE』は、そんな昨今の音楽作品において希薄化してしまった録音や記録物としての意味合いを、再び実感させてくれるような作品だ。そう感じたのは、宮本のバンド活動時との音楽に向き合う姿勢の違いに起因している。宮本がエレファントカシマシでみせていたのは、楽曲に対峙し、時に脱線しそうになりながら限界まで突き詰めていくようなスタイルであり、そこから生まれる感情の機微は、聴こえてくる音以外の余白を補完するエッセンスになっていた。2010年代に限っていえば、宮本自身の耳の病気の克服、老いを受け入れることで逆説的に強さを獲得した『RAINBOW』(2015)、そしてそこから無駄なものを削ぎ落としたことで軽さを見出した『Easy Go』(2018)へと繋がっていくが、いずれの作品においても、この楽曲と作者が鍔迫り合いような激しさが、言葉にならないメッセージとして聴き手に訴えかけてくるのであった。
一方、今作のカバーで宮本が見せたのは、どこまでも楽曲に寄り添う姿勢であった。宮本はバンド活動での限界まで張り上げるような絶唱は決してせず、時に元々の楽曲のキーを下げてでも忠実に歌うことに徹しようとする。エレファントカシマシとしての唯一のカバー曲である荒井由実の「翳りゆく部屋」と、今作での中島みゆきの「化粧」は、その方向性の違いが顕著にみられる2曲といっていいだろう。前者が、バンドによって培われた"叫び"をバックにして、楽曲を再解釈しているとすれば、後者は自身のエゴを極限まで削ぎ落とし、作品の内部に入り込み、楽曲に存在する"叫び"を忠実に再現しているのである。それによって、余白(言葉にならない感情の機微)を補完することなしに、シンプルにその音(歌声)だけで十分な説得力を持たせることに奏功しているのである。
また、この姿勢は楽曲の情景や登場人物の顛末を、忠実に再現することにもつながっている。本作は全ての楽曲が女性歌手の楽曲の、いわゆる"おんな歌"であるが、宮本は、女性らしさを持ってアプローチをすることはない。かといって、自身の男性的な部分を盾にすることもない。あくまで楽曲の主人公に寄り添い、作品の内部にある感情を拾い集めては歌声にして吐き出す、ただそれだけなのである。松田聖子をはじめ、当時いわゆる"アイドル"と呼ばれる歌手が歌っていた楽曲も本作には収録されているが、彼女らがアイドルが故に"女性らしさ"、あるいはそこから起因する要素を持たざるを得なかったとすると、楽曲を忠実に歌うという点においてはむしろ、宮本の方がよりシンプルかつ余計な障害なしに楽曲に対してアプローチすることができているのかもしれない。その意味でいえば、「赤いスイートピー」のサビの部分や「喝采」のイントロと間奏、及びアウトロの部分は、出来うる限り原曲に忠実なものにしてほしかったというのが、本作における唯一の悔やまれる点である。
さて、先に述べた原初的な音楽の"一回性"を今作に当てはめるとするならば、それは今現在、2020年の宮本浩次という歌手の表現である。透き通った美しさの中に、年齢による枯れを持ち合わせた今現在の宮本の歌声というのは、後にも先にもこの瞬間しか記録することができない儚さを孕んでいる。その歌声をもって宮本は、これまでのように作品と対峙するのではなく、内部に入り込みエゴを徹底的に削ぎ落としながらフラットに表現をしていく。すると、『RAINBOW』以降獲得した、自身の"静"の部分と"動"の歌声は、他者の作品というフィルターを通すことで、驚くほどクリアーに抽出されるのであった。これは強いエゴと、限界を突破しようとする姿勢、さらには男性的な部分の入り混じった自身の作品では到底成し得なかったはずである。そこに残ったのは極めて純粋な音としての表現であり、まさに宮本浩次の残した記録物として最も最高の形で録音されたと言うことができるのではないだろうか。そんな"一回性"をもった誠実な表現を、レコードで"再現"をした瞬間私は、原初的な音楽体験に限りなく近い感動を覚えるのであった——。まさに、後世に残る"クラシック"たり得る作品である。
Track Listing
01. あなた
02. 異邦人
03. 二人でお酒を
04. 化粧
05. ロマンス
06. 赤いスイートピー
07. 木綿のハンカチーフ-ROMANCE mix-
08. 喝采
09. ジョニィへの伝言
10. 白いパラソル
11. 恋人がサンタクロース
12. First Love