三浦日記

音楽ライターの日記のやうなもの

オオカマキリと少年I—卵

11月下旬、窓の外には雪が降り積もっていた。外に生き物の気配は感じられない。多くの昆虫は秋に産卵をし終えるとやがて衰え、外気温の下降とともに力尽きてゆく。少年の飼っていたオオカマキリも、陽光とストーブの火の温もりに温められながら、静かにその生命の幕を閉じようとしていた。脚は何本か折れ、残った脚もその先端部分は黒ずみ、眼はまだ明るいにもかかわらず、黒く濁っていた。けれども、腹部の収縮運動でまだ生きていることがわかった。突然、前脚のカマがわずかに動いたかと思うと、頼りない中脚と後脚のわずかな力で浮いた腹部が、徐々に床につき全く動かなくなってしまった。しばらくすると、腹部の収縮運動も収まり、体を持ち上げてみると、脚は勝手に内へ内へと折れ曲がろうとしていた。オオカマキリはついに、力尽きた。少年の目には、涙が浮かんでいた——。

 

この話は、前年の12月、川沿いの道を散策していたところから始まる。少年は、細いススキの茂みの中に、膨らんでいる部分があるのを見つけた。近づいてよく見てみると、それはピンポン球ほどの大きさで、楕円形の形をしていた。図鑑で見たことのある、オオカマキリの卵鞘だった。ススキの茎に丁寧に産み付けられた卵鞘は、発泡ウレタンのように空気を含んだ軽い素材ながらも、触ってみると実にしっかりとしていた。ウレタン状の素材が断熱材の役割を果たすことによって、卵鞘の中の生命は、北国の寒い冬でも耐え抜くことができた。少年はオオカマキリの卵鞘を、ススキの茎ごと切って持ち帰った。

 

オオカマキリの卵鞘は、外気温の変化によって、孵化の準備が行われる。そのため、可哀想だと思って暖房の効いた室内なんかに置いてしまっては、中の卵が春が来たと思って、一斉に孵化してしまう。少年はそんな話を以前、祖父から聞いたことを思い出し、卵は玄関と外を隔てる、風除室の片隅に置くことにした。こうすれば、直接吹雪が当たることも、雪で押し潰される心配もない。また、風除室内の気温も、外よりも少し高い程度のため、間違えて孵化してしまう心配もなかった。少年は物置から、少し大きめの水槽を引っ張り出し、そこに卵の付いたススキの茎を入れた。だた、それだけでは水槽の蓋の隙間から逃げてしまう可能性があったので、一度ガーゼで天井部分を覆ってから蓋を被せることにした。

 

それからというもの、少年はオオカマキリが孵化していないか、毎日欠かさず確認する日々が続くのだった。6月の上旬、ついにその時が訪れた。早朝、水槽を覗いてみると、オオカマキリの幼虫は、水槽内の壁や天井じゅうにビッシリと付いていた。幼虫は、透き通ったクリーム色をしていて、小さいながらも、既に特徴的なカマ状の前脚が形成されていた。その姿を観察している間も、卵からは次々と幼虫が孵化してきている。すばしっこい動きで、ぴょんぴょんとはねては、生まれてきた世界の感触を確かめているようだった。そんな健気な様子を眺めているうちに少年は、このオオカマキリを飼ってみたい衝動に駆られた。そして、ただ飼うだけでなく、成虫になるまで育てて、次の世代に繋げてみたいという挑戦心も芽生えてきた。少年とオオカマキリの"共同生活"の幕が開いた。

 

少年は、幼虫を10匹ほどを水槽に残して、それ以外の幼虫は家の隣にある空き地、花壇、そして庭に植えられた木の枝に離すことにした。この中で、一体何匹の幼虫が生き残って、成虫になるんだろうか。少年は、ふとそんなことを思った。ミクロな視点で眺める自然の世界には、多くの危険で溢れている。昆虫の中の食物連鎖で頂点に君臨するカマキリも、幼虫の状態では無力に等しい。外に離した幼虫の様子をしばらく追っていると、ある幼虫はクモの巣に引きずり込まれ、またある幼虫はアリの大群に飲み込まれてしまうのが見えた。少年は、自然の生き物の厳しさを、身をもって痛感したのだった。