少年が育てたカマキリは、トンボを好んで食べた。イナゴ、ショウリョウバッタ 、トノサマバッタ、アゲハチョウ、アブラゼミ......。カマキリはどれもよく食べたが、その中でも最も食いつきが良かったのがトンボであった。
トンボを与えると、カマキリはまず、何度も前脚を掴み直し、一番持ちやすい場所を探す。持つポジションが決まると、頭の複眼から食べ初め、硬い牙の部分を器用に捨てる。続いて、胸の部分を食べ進めていく。トンボの胸は、鶏ムネ肉のように筋の入った筋肉が発達していて、そのおかげでホバリング飛行や、俊敏な動きが可能になるのだ。カマキリは、胸についた脚と翅を外しながら、その筋肉の繊維一本一本を丁寧にむさぼる。その様子が骨を取りながら、フライドチキンを食べているように見えて、少年はなんて美味しそうに食べるんだろうと思った。胸の部分を食べ終えると最後に細い腹の部分に取り掛かる。この時になると、カマキリはトンボを片手に持ちかえ、チュロスを食べるような要領で、尻尾の部分まで完食するのだった。
少年の家の近くにはすぐ、畑と田んぼがあった。少年は学校から帰ってくると、カマキリの好きなトンボを捕まえるために、そこへ向かった。畑には、道路を隔てるための青色のネットが張られていた。小学校低学年の少年と同じくらいの高さで、それを支える竹製の支柱には必ずと言っていいくらい、トンボが止まっていた。そのすぐ横にある田んぼには、真っ赤な色をしたアキアカネが一面に飛び回っている。夏の間、高地で過ごしたアキアカネは産卵時期になると一斉に低地へと降りてくるのだ。空は濃いオレンジ色と、紫色のグラデーションになっていて、いわし雲が散らばっていた。少年はトンボが止まっている支柱を見つけると、まずは、虫取り網で支柱を軽く叩く。すると、驚いたトンボはその場をしばらく飛び回ったのち、再び同じ場所に戻ろうとする。その止まる直前を見計らって、タイミングよく網を振る。次の瞬間、網の中にはバタバタっという音を立ててトンボが入っていた。
アキアカネを捕まえるのは、少年だけではなかった。田んぼの様子を見ていると、オニヤンマが、その上空を飛び回っているのが見えた。アキアカネの2倍はあろうかという体は黒色と黄色の縞模様になっていて、エメラルドがはめ込まれたような大きな複眼が目立つ。突然、何かがぶつかるバチっという音が聞こえた。オニヤンマが、アキアカネを捕まえた音だった。やがてオニヤンマは電線に止まり、じっくりと獲物にありついていた。
命の攻防戦は、空中だけではなかった。支柱と支柱の間に、黒い塊が浮かび上がっているのが見えた。黒い塊はよく見ると、浮いているのではなく、自らが吐き出した糸によって作り出された巣に鎮座している。正体は、オニグモであった。その様子をじっと眺めていると、アブラゼミが巣に引っ掛かった。アブラゼミはシャーッというけたたましい声を響かせながら、バタバタともがいているが、なかなか巣から逃げることができない。すかさずオニグモは、セミに近づいていき噛み付く。毒を注入されたセミの動きは次第に麻痺していき、威勢の良かった鳴き声も止む。続いてオニグモは、動きの鈍くなったセミに糸を巻き付け、器用に脚を使ってぐるぐる巻きにし、その体液を吸い始めた。
少年はこうして外で過ごしているのが好きだった。昆虫の営みは、どんな遊びやゲームよりもワクワクさせてくれた。虫取り網と虫かごさえあれば、それだけで十分だった。秋風がふと、稲穂をサラサラとなびかせ、少年の肌を撫でていった。半袖のTシャツ一枚だけだと、少しひんやりとする。あたりは日が落ち、暗くなり始めていた。少年は、捕まえたトンボをカマキリに与えるべく、家路を急いだ。畑の草むらでは早くもコオロギが鳴き始め、遠くの山の方からは、ヒグラシの「カナカナカナカナ……」という鳴き声が反響しながら聞こえてきた——。