少年の住む場所は、市街地から少し離れた場所にあった。団地という言葉が地名に入っているもののの、住宅同士は決して密集することなく、一定の距離を置いてのびのびと立ち並んでいた。住宅は「目」の字でいえば、三つに区切られた空間の右側に数件あって、その左側にはそれぞれ空き地があった。そして、「目」の内枠と外枠の部分には道路が走っていて、空き地の周りは、住宅に面していない側を除いて、生垣で囲まれていた。空き地は、たびたび業者の人間が草を刈り取りに来ていたが、またすぐに草花が伸びてしまって、時に少年の背丈と同じくらいの高さまで生茂ることもあった。「目」の右下の方には、畑と田んぼが広がっていて、一画目を形作る道路の左側には、川が流れていた。少年は夏の間、時間があれば虫網を片手に、そんな自然の中を駆け巡っていた。
夏休み、少年の家にはたびたび友人が訪れた。はじめのうちは、2階の部屋に集まって、テレビゲームをして遊ぶのだが、画面上の世界はすぐに飽きてしまって、結局すぐに虫網とバケツを持って外の世界へと飛び出していくのだった。少年たちが一目散に向かったのは、決まって田んぼだった。水が張られた7月の田んぼは、覆い尽くすように稲が伸びていて、用水路には、水が渾々と流れている。用水路はコンクリートで舗装されていないためか、様々な生き物が潜んでいた。畦道の淵の方を足踏みすると、それに驚いたオタマジャクシが一斉に逃げていく。少年はそっと網を入れ、田んぼのぬかるんだ泥と一緒に素早く掬い上げた。すると、網の中には、泥の中でもがくオタマジャクシやヤゴが入っていた。すぐさま、持ってきていたバケツに入れて、少年は、次の生き物を探す。
友人の一人がアマガエルを発見すると、それを囲むように手分けをしながら、用水路の流れが狭まっている先の方へと追い込んでいく。カエルの方も捕まえられまいと、その途中で水路の底の方や、刈り取られた草が無造作に積まれたところへ身を隠して、必死に逃げ回る。たまにひと回り大きいトノサマガエルが現れると、少年たちは大捕物だと言わんばかりに、より一層目を輝かせた。いつにもない田んぼの騒ぎに驚いたのか、大きなアオダイショウが、目の前に現れることもあった。ただ、それを捕まえようとしてみても、スルスルっと稲の合間を泳いで行ってしまうので結局、捕まえることはできなかった。いつの間にか彼らは時間を忘れ、生き物との追いかけっこに没頭していた。
日が落ちる頃には、バケツは田んぼの生き物で溢れかえっていた。バケツの底の方ではヤゴが歩いていて、おたまじゃくしは縦横無尽にウネウネと泳ぎ回っている。そして、カエルはバケツの淵を這い上がっては落ちを、繰り返していた。少年たちは、本日の成果をしばらく確認した後、示し合わせをするまでもなく、それをざばぁっと用水路へ流した。バケツの中に閉じ込められていた生き物達は、すぐに散り散りになって、先ほどまでいた場所に再び身を隠す。少年たちは、不思議とそれを飼ってみたいという気分にはならなかった。今、彼らが住んでいる場所以上の環境は自分には作ることができないということを、否応なしに自覚していたのだ。そして、捕まえる瞬間以上に、捕まえたものを手放す方に爽快感に似たもの覚えるのだった。
その様子を見届けると、再び家に戻り、泥だらけの体を洗った。荒木田土の少し生くさくて、微生物が発酵したような匂いが浴場に充満する。先ほどまで裸足で駆け回った足には、替えの靴下が履かされ、泥だらけになっていた体は清潔になり、真っ新な着替えに袖を通す。少年たちには、再び部屋で遊ぶ気力は微塵も残されていなかった。それ以前に、テレビゲームもマンガも、田んぼで遊んだ後の今では全く魅力的に映らなかった。少年たちは、生き物の実感をその手に残しながら、満ち足りた表情でそれぞれの家路へと急ぐのだった。ある夏の1日の出来事である。