三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

"自由気まま"な奥田民生の歌が"牙を剥く"とき

奥田民生の父、幹二氏はかつて共産党議員であった。"蛙の子は蛙"ということわざの逆には、"鳶が鷹を生む"ということわざがある。奥田民生は、そのどちらか。息子民生は、小学校6年生から上京するまで『赤旗』日曜版を配達していたという。また、父が街頭演説に立った際は、歌で応援もした。彼の民生という名前も、日本民主青年同盟の略称である"民青"からとったものであるというのは有名な話である。それらを鑑みれば彼の中には、少なからず政治的なイデオロギーが渦巻いているといえるのだ。

 

ただ、彼は時事的な社会の話題や時流に乗せられたような主張を、歌に直接的に落とし込むようなことはしないように取り繕う。

僕らの自由を 僕らの青春を
大げさに言うのならば
きっとそう言うことなんだろう (「イージュー★ライダー」より)

さすらおう この世界中を
ころがり続けてうたうよ
旅路の歌を (「さすらい」より)

休みが必要だ テレビがそう言ってる
コーヒーで一息いれろと言ってるなるほど (「コーヒー」より)

"自由気まま"というイメージは、もはや彼の中の代名詞のようになっている。

 

そんな彼の音楽性と自身のバックグラウンドがリンクしているとすればどうなるか。その楽曲が持っている"自由気まま"なイメージがとたんに、強くて普遍性を持ったものへと豹変する気がしてならない。ただ、それは一回聴いたぐらいでは、そのイメージを覆すことはできないし、そういう粗探し前提をしなくてもいいように彼は歌い上げる。固有名詞や時代性をギリギリのとラインで、垣間見せたり見せなかったりする歌詞のスタイルは、何度も聴き続けているうちに体の中へと染み込んで来る。染み込まない抽象性というのもあるが、奥田民生の場合は音の当て方が心地良いせいからだろうか、メロディーとともに歌詞がスーッと浮かび上がってくるのだ。

 

たとえば社会で何かが起こったとき、彼の楽曲の歌詞が浮かび上がってくると、なんでもなかった歌詞が途端に重みをもって訴えかけてくることがある。けれども、それはどこまでも聴き手にゆだねられている。無論、奥田民生側からおおっぴらに明かすこともない。そんな曲の中でも、ここ最近の話題と戦慄を覚えるくらいリンクするということで驚いた曲がある。それは「ドースル?」という楽曲の歌詞と、ミュージシャンの薬物所持である。

銀色の世界さ あやしく眩しく
誘っているのさ 僕らを
行ってみようか行くのやめようか

(中略)

銀色の世界は あやしく眩しく
手まねきするのさ 僕らを
触れてみようか 見るだけでしょうか

一聴するとこの部分は、美しい女性が男性のことを「ドースル?」と言って誘惑している、そんなシチュエーションのようにも聴こえる(MVも確かそんな感じで展開されていたと思う)。しかしながら、そうした情報なしに、ニュートラルな気分でこの楽曲を聴いたり、あるいはふと思い出したりしながら、昨今のドラッグのニュースを見ていると、ドラッグの誘惑に負けまいと葛藤を重ねる男のようにも思えてしまう。"銀色の世界"は一体何を指しているのか。それがもしも覚醒剤のようなものの暗喩で、それらが誘惑してくる——。当の本人は、そんなことを微塵も考えていないのかもしれないが、含みを持たせた彼の詞はこうした解釈さえできてしまうのである。

 

2011年の東日本大震災の後、予言的だといって話題になった「近未来」の歌詞。

新しい時代だそうだ 新しいのだそうだ
詳しくはしらないぞ とにかく うっかりのんびりしない様

嵐のように吹き荒れそうだ 災難を招きそうだ
君だってあぶないぞ とにかく うっかりのんびりしない様

あー教えて下さいよ 僕らの近未来を
緑の地球は どうなるの
なにかが爆発 するかもしれないよ
愛と平和だけ捨てないでね
あー鳥がなく あー花が咲く

"災難"を招きそうだ、なにかが"爆発"するかもしれない——。無論、彼が本当の能力者か何かで予言をしたというのは考えられず、こんなのはこじつけである。確かにそうかもしれないが、そう解釈できてしまったということは事実である。昨今の新型コロナウイルスの世界的な拡大、パンデミックが起きていること。日本だって最初は他人事のように扱っていたが、蓋を開けてみれば、"緊急事態宣言"なるものが発令され、大変な状況になっている——。そうなったとき、再びこの楽曲を聴いてみると、恐ろしいくらいに当てはまっている様な気がしてならない。

 

こうした解釈を聴き手が出来た瞬間というのは、ややもすれば戦慄するぐらいの力強いものを持っている。言うなれば、これまでのほほんと呑気に暮らしていた(と思われていた)猫(と思われていた動物)が、次の日起きてみると、ライオンの様に牙を剥いてくるような猛獣だった、そのくらいのインパクトがあるのだ。その人間の思想の本質というのは、その人にしかわかりえない。しかしながら、外側からその思想を覗いたり、あるいは、社会で起こっていることと重ねたりした時には、また新しい解釈ができるのは確かである。奥田民生の歌には、その十分な可能性が秘められている。それは過去に対しても、またこれから起こる未来に対しても。

 

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