三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

人間のエゴについてーオーストラリアのカンガルーから

オーストラリアでは、カンガルーが増えているらしい。そうこうしている間にもどんどんと......🦘🦘🦘。その数は約5000万頭だとか。オーストラリアの人口が約2500万人なので、人口密度よりも、"カンガルー密度"の方が高いという計算になる。なぜ、こうも増えてしまったのかというのは、いろいろな原因があるようだが、一つは先住民族が狩りを行わなくなったこと、そして天敵であるフクロオオカミが絶滅し、さらにはディンゴが減少してしまったことが大きいという。ただ、増えた分だけオーストラリアの面積が増えるわけではない。近年では干ばつの影響も相まって人間の生活圏と、カンガルーの距離は縮まってきている。オーストラリア東南部のニューサウスウェールズ州の村では、民家の方にのうのうとカンガルーがやってきて食事を取る光景を見ることができる。

 

すると当然ながら、弊害も起こってきてしまう。自動車と動物の衝突事故の、なんと8割はカンガルーによるのものだそうだ。日本の山間の高速道路でさえ、シカだとかクマだとかが衝突する、なんていうことは割とよくあることなので、カンガルーの繁茂したオーストラリアではなおさら、車にとってはかなり厄介な障害物になっているのだろう。それだけではない。食べ物に困ったカンガルーが、畑に来て農作物を荒していく。この場合は日本でいう、イノシシやニホンザルのような存在になるのだろうか。

 

そこで生態系のバランスを維持すべく、現在オーストラリアではカンガルーの駆除がなされている。政府公認の下、駆除されたカンガルーは、皮と肉に分けられる。柔軟性のある皮はナイキ、アディダスといった世界的なメーカーが買い求め、スパイク等の製品に使われる。肉は以前はペット用だったものの、現在は食用肉としてレストランでも扱われるようになってきているんだとか。それらの輸出額は2017年に35億円を超え、オーストラリアの地域振興に役立っている。そして、注目したいのはそれによって創出される4000人もの雇用である。

 

ただ、そうした駆除に否定的な意見もある。動物愛護団体は、現在のカンガルーの5000万頭という頭数はありえない、捏造だということで、駆除に反対をしているという。なぜならカンガルーの成長には時間がかかり、死亡率も高いため、爆発的に発生することは考えられない、というのだ。保護の観点で言えば、奈良のシカを思い起こす。奈良のシカは、平安時代から神様として丁重に扱われ、人間と共存を続けてきている。しかしながら、カンガルーを奈良のシカのように保護するとすれば、大きな問題が生じてしまうだろう。農場経営者は、土地に入り込んだカンガルーが土地を荒らしても、駆除することなくそれをただ見ていなくてはならない。たとえ、干ばつが起こったとしてもである。さらに先ほど書いたように、カンガルーの加工に携わる人々の雇用はどうするのか、ということも課題として残るだろう。

 

駆除されたカンガルーは、皮製品として加工されるか、食肉として人間の胃袋へと消える。では、駆除されなかったカンガルーはどうなるのか。もっといえば、命を落とさずに大怪我をしてしまったカンガルーのことである。さらには人間から虐待を受けたり、車に轢かれて足を怪我して跳べなくなってしまったカンガルーの存在のことも忘れてはならない。彼らのことは——助けるのである。ここ数年の間で、オーストラリアでは、カンガルーの保護施設が数十か所設けられた。皮肉なことに、人間の手によって怪我をしたカンガルーが、人間の手によって手当てされるのであるーー。

 

ここに、人間のエゴイズムのようなものが垣間見える。人間の経済利益のため、あるいは生活に支障をきたさないために駆除されたカンガルー、駆除で死にきれなかったカンガルーの存在。車に轢かれたカンガルー、あるいは虐待を受けたカンガルー。それらの命の価値は皆同じであるはずだ。しかしながら人間は価値の尺度を恣意的に決定し、駆除するものと駆除しないものという区分分けをして正当化する。他方で、そうしたカンガルーを保護するのもまた、人間である。野生動物の保護施設を設立した医師のハワード・ラルフは言う。

傷ついた動物を助け、再び野生で暮らせる状態に戻すことを目指しています。種によって差をつけることはありません。最善を尽くします。(p.109)

——駆除で死にきれなかったカンガルーが道端で苦しんでいる。医師はその姿を見つけたら、すかさず助けるだろう。その瞬間、カンガルーは駆除の対象から保護する対象へと価値が変貌を遂げる。天国と地獄、その天秤を決めるのは言うまでもなく人間なのである。その意味で保護する方も、結局のところ人間のエゴにすぎないと言えるのだ。すると、ハワードの一見善良とも思える言葉にも、複雑な意味合いを帯びてくるように思えてしまうのは私だけだろうか。人間のエゴのお話。

 

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参考文献
『ナショナルジオグラフィック 日本版』2019年 2月号 より