三浦日記

音楽ライターの日記のやうなもの

52分の白日夢—エレカシ全作レビューXVI『風』

はくじつむ【白日夢】[daydream]
白昼夢ともいう。夢に似た意識状態が覚醒時に現れるもの。内容は概して願望充足的である。また,単なる空想より現実性を帯びている。

『ブリタニカ百科事典』より

 

エレファントカシマシ、16作目となる『風』。2004年リリース。思えば、2000年代初頭の彼らの作品は、30代に差し掛かった人間の生き方の模索がテーマであった。『DEAD OR ALIVE』(2002)では、やがて訪れる死に自暴自棄になりながらもその思いを叫び通し、『俺の道』(2003)では、自己の生き方を他者に開きながら追求した果てに、"諦念"の境地に至った。そして、『扉』(2004)では"死"への自覚を、より"生"を充足させるものとして昇華させていた。この3作にいずれも共通しているのは、生と死の存在。決して共感を求めることはないが、人間である以上、共感、あるいはそれについて考えざるを得ない。この時期の作品は、30代の宮本という個人の生き方が述べられているだけではなく、全人類にとって不変的な事実として刺さってくる、言うなれば"哲学"なのであった。

 

では『風』はどうか。前作『扉』から一年経たずにリリースされた本作は、生と死のどちらの立場でもなく、ついにはそこから"解脱"しているかのようだった。死の匂いや、生への執着というものから身を引き、それが現実で執り行われているとすれば、現実に面と向かって向き合うのではなく、まるで夢と現のあいだを彷徨うような感覚に陥っている。それはまさに、白日夢なのであった——。

 

アルバム序盤、「平成理想主義」から「達者であれよ」、そして「友達がいるのさ」へと続く3曲の流れは、たちまち聴く者を、そんな現実から遠い遠い場所へと引き連れてゆく。

 

「平成理想主義」。キーボード、ドラム、ベース、ギター、話し声…が現代音楽のように入り乱れていると突然、場面がパッと切り替わったかのように楽曲のギターリフがかき鳴らされる。長さ、12小節。直後、バンドサウンドが、リフから地続きのフレーズに付随するように混ざり合い、一つの大きな塊となって胎動を始める。胎動の主はしばらくして、産声を上げるかのようにざらついた叫び声を上げた。伸びやかな歌声は、バンドサウンドに一定の緊張感をもたらし、ファンキーなフレーズにグルーヴ感を増幅させる。その規則性に耳が慣れてきた頃、ギターは単音からアルペジオへと移行し、今度は視界が開け広がりをもったサウンドへと変化する。一方、先ほどまで存在感を放っていたベースとドラムは、もはやリズムを刻むことだけに執着するかのような佇まいへと変わる。そして宮本のファルセットも浮遊感のあるコードに乗せられながら響き渡る。この切り替えによって生まれたコントラストは、天へと上昇する感覚をもたらす。それはまるで、自分自身が"風"になっているかのような感覚があった。

 

続く、「達者であれよ」は全体を通してザラついたサウンドで貫かれる。しかしながら、そのメロディとコードはそれに反比例するかのように美しさを纏っていた。特にサビでは、オクターブを往来する幅広いレンジのメロディに、擦れ切ったシャウトに近い歌声が乗せられる。依然としてサウンドはザラついたままではあるが、その辻褄合わせをするかのようにバックでは、分数コードによって生み出された"解放感"が遺憾なく感じられるのであった。この曲における"解放感"は、それだけではない。終盤になって、4拍子から3拍子のワルツへと変化する部分ではその歌詞も、それまでは抽象的で内面的だったものから突然、場面が切り替わったかのように、具体的な情景描写へと変化する。

いつもの街の音 遠くにして
神社の木漏れ日の間歩いてた
我が身の その来し方 想いながら

休符を挟み、再び4拍子へと戻り、擦れた歌声が美しいコードにすがるように絡みついてゆく。その様は、夢から現実の世界へ、そして現から夢の世界を往来しているかのようであった。

 

そして「友達がいるのさ」。冒頭、

東京中の電気を消して夜空を見上げてえな

とある。東京という名詞、電気を消すという行為、そして夜空を見上げる行為。これらはなんら現実的な場面で使われるが、それらが組み合わさると突然、非現実的なものへと変化する。現実の世界にいながら、夢想している感覚——。続く、

明日 飛び立つために 今日はねてしまうんだ

という節は段々と登っていくメロディに力負けしながら、ファルセットで消えゆくように歌われる。ただ、そこに後ろめたさだとか、やるせなさは感じられない。希望を求めて出かけてゆく、その充電期間のようなむしろ肯定的なものがこの曲にはある。それは楽曲が進むにつれて、バンドサウンドは大きくダイナミックに、その歌声は段々と生気が宿っていくからなのだろうか。まさに、"心地のよい現実逃避"のような体裁が保たれているのだった。

 

序盤3曲で作り出されたこの夢想的な感覚は、続く7曲にも、その方向性を促す。Cmコードを主軸に作られた「人間ってなんだ」は、サビで長調へと転調し、宮本のびやかなハイノートと相まって限定的な解放感を演出する。転調で言えば、「定め」もマイナーコードが貫く中、唯一サビ終わりの部分でサブリミナル的に長調への転調がみられ、ここでも解放感が限定的に提示される。そしてこれらの解放感は、限定的であることはもちろんのこと、やはり「達者であれよ」の終盤のような場面転換の見られる詞によって、夢想的な要素へと連想されやすくなっているように思える。他方、「DJ in my life」では、上記2曲のような、コード進行上からの解放感は感じにくい。その代わりにあるのは、随所に挟まれる"ああ"という宮本の力強いフェイク。ポエトリーリーディング、あるいは音程の差がさほど無く、抑揚なしに入れられる詞の中でここは非常に際立っていて、唯一の解放感のもたらす部分であるといえよう。ここでは「平成理想主義」のサビのときのような、上昇していくような感覚が促されるのだった。

 

最終曲、あるいは表題曲でもある「風」。前曲までのバンドサウンドから一転したアコースティックサウンドが際立つ。アコースティックギターの生々しさ、さらには地に足を下ろしたような歌詞は再び現実の世界へと引き戻す。それはまるで、作り出された"夢想的なもの"の終わりを告げているかのようであった。ゆるやかに、そして余韻を残しながら。52分の白日夢——。

 

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