三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

「地元の朝」の帰省、その到着までの描写について―エレ歌詞論考Ⅲ

エレファントカシマシの歌詞に、フォーカスを当てていく企画。今回は、2004年リリースの『扉』に収録されている「地元の朝」について。以下に載せたのは、その冒頭部分の歌詞である。まずは、こちらを読んでみていただきたい。

ある日 目覚めて電車を乗りついできた
育った町へやってきた そう地元の朝

「フタ親に会いに行こう (そう)一年振りさ」
去年以上に学校が古ぼけて見えたんだ
坂を登り商店街を横切って
親の家の前に立った

冒頭、まずは実家へと帰る様子が描かれる。早朝、電車を乗り継いで、自分が育った町に来る。直後、宮本は地元"は"朝ではなく、地元"の"朝と表現している。意外にも、この効果は大きいように思える。というのも、"は"の方にすると「私の地元"は"、朝であった」と、客観的で場面を説明しているようで、地元であるのにもかかわらず、やや他人行儀な印象になってしまうからだ。地元"の"朝としたことで、「(これが)私の地元の朝」という風に、今までの過ごしてきた経験の意味合いが含まれ、地元というものが、当たり前、あるいは馴染みのあるものとしてのニュアンスが強まるのである。

 

登場人物は、地元の駅に着いた後、実家へと向かうのだが、その描写は何とも動画的である。実家までの道のりではまず、学校が見えてくる。〈去年以上に学校が古ぼけて見えたんだ〉と、学校を"見た"ではなく学校が"見えた"としたことで、歩いている最中に、ふと学校が現れてきたといったような印象を聴き手に与える。そして、学校は去年以上に古ぼけている。この"去年以上"という修飾は、前文の〈フタ親に会いに行こう (そう)一年振りさ〉からきていると考えていいと思うが、それにしても主観的な表現である。つまり、一年前の学校の様子が明示されていないにもかかわらず、あたかも当たり前のように"去年以上"という言葉が使われているのである。それはある意味不親切であるかもしれないが、主観的な表現に徹されたことで、時間の経過さえも聴き手に追体験させる効果を生み出しているともいえるのだ。

 

続いて登場人物は、坂を登り、商店街を横切る。ここでは、先ほどから一転していずれも、"する"描写へと変わり、○○が"見える"という描写は省略される。視点は、ひたすら前を向いているか、あるいは下を向いているかで、ある意味、これといった変わり映えがないという光景を想起させるのだった。そもそも、"○○が見えた"という表現は、見慣れた風景にはあまり使われない。むしろ、今まで行ったことのない場所で積極的に使われるものである。つまりこれらの省略は、前行の〈去年以上に学校が古ぼけて見えたんだ〉を、地元の風景においても印象に残るものであったこととして、浮き立たせる効果もあるのだ。これは、メロディによる制約がそうさせたのかもしれないがわずか3行の中の、端的な表現においても、十分な抑揚が付いているといえるだろう。

 

そして登場人物は、実家に到着する。普通であれば、"実家に着いた"と表現するはずであるが、勿体ぶったかのように〈親の家の前に立った〉としている。何か悪いことをしたわけでもないのに、家の前にただただ立っている。そこからは、後ろめたさのようなものが伺える。登場人物は、何かを考えているのだろうか、その感情に至った背景とは何か——。これによって、それ以降へと続く、自問自答の連続(この部分がその背景となる)に、滑らかにつながっていく。その点でこの楽曲は、非常に小説的な構造も持っているといえるのではないだろうか。

 

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