三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

秋田県民は安住紳一郎アナウンサーを知らない

「秋田県民は安住紳一郎アナウンサーを知らない」少々主語が大きくなってしまったが、どこかの局でやっているしょうもない県民バラエティー番組でも、"○○県民は、○○を食べる!"みたいなことを声高に、全国の地上波に乗せて言っているので、さほど問題はないと思う。ちなみに、その番組でもっとも疑問だったのが、秋田県民は納豆に砂糖をかけて食べる、というもの。とんでもない、秋田県は県北県央県南に分かれているが、これは県南だけの文化だ。そもそも、納豆についている付属のたれだって、醤油だけの味ではなく、かなり甘めの味になっているではないか——。そんなとんでも情報と比べるととこの冒頭の、「秋田県民は安住紳一郎アナウンサーを知らない」というのはかなりの割合でいるはずで、何よりまともな言説なのである。

 

それはなぜか。答えは簡単で、秋田県ではTBSが映らない(厳密にいえばケーブルテレビを契約していればみられるが、その割合は決して高いとは言えない)。当然、『水曜日のダウンタウン』だって観られないし、毎年クリスマスに行われる小田和正の『クリスマスの約束』だって観られない。もちろんダウンタウンは、他の局にも出演しているのはご承知のことで、小田和正に関しては、もはやテレビの出演の有無なんて関係ない領域の人物である。彼らのことはさておいて、本題である安住アナは、TBSのアナウンサー、当然ながらTBSにしか出演していない。あの、『ぴったんこカンカン』でブイブイと言わせていることなんて、秋田県民にはもっての外である。この番組だったかは忘れたが以前、安住アナが秋田県を訪問するみたいな企画をやっていた時も、道行く秋田県民の多くは、なんか見たことあるだとか、お年寄りに至ってはあなた誰、と言われる始末だったことを覚えている。

 

筆者は、大学進学を機に埼玉の東京寄りの方に引っ越してきた。そこで、TBSをリアルタイムで観るよろこびを知る。そして、『ぴったんこカンカン』も、20にして初めて観る。なるほど、これがあの安住アナか。番組内の『シェフ大泉』の企画では、ご存じ大泉洋とも見事な絡みを見せていた(ちなみに秋田では北海道ローカル番組を多数放送しているため、大泉洋は全国的に有名になる前から知っている人が多い。安住より洋、なのである)。TBSを付けていると、かなりの番組にこの男が登場していることからも、局の看板アナウンサーであることが分かった。秋田を離れて数年、その存在はしっかりと認識できるほどになった。しかしながら、心の奥底では未だに"誰"という感情が渦巻いてしまう。それは別に、その人となりだとか、どういう経歴を持っているかというファン目線での知識の有無の話ではなく、ただただ、"誰"という感情がでてくるのである。

 

自分なりにそれを考えてみると、やはり最もテレビを観る時期、つまり小~中学校時代に、その人物に出会うという経験がなかったことが大きいように思える。この話は、案外音楽の話にも関係しているようで、人間が心に残り続ける音楽というのは、人格形成期(中学生くらい)に聴いたものであるらしい。安住紳一郎という男。秋田県民が、その存在を知るためには、上京する必要がある(ケーブルテレビの契約の話は置いておいて…)。ただ、そのタイミングというのは高校や大学を卒業して進学あるいは就職をするタイミングが大半である。こうなってしまうともう既に、"人格形成期"なるものは終わっている。安住紳一郎を、テレビで観られる条件下にあっても、そもそもテレビなんて観なくなってしまっているかもしれない。仮にも観られたとしても、その印象というのは、中学生のそれと比べてはるかに薄いものになっているはずだ。その意味で、「秋田県民は安住紳一郎アナウンサーを知らない」のである。

 

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当然ながら、『逃げるははじだが役に立つ』で盛り上がった年も、帰省して親戚が一堂に集まったときというのは、全くピン来ていないという始末。確か、紅白で披露された星野源の"恋ダンス"に関しても、へぇ~これが流行ったのね、くらいの空気になっていた。このご時世、TBSが文化として全く浸透していない場所もあるということを、改めて実感するのだった。