三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

日本で進化を遂げたパンクの到達点―エレカシ全作レビューⅥ『奴隷天国』

"自己"と"世間"とのあり方は、デビュー作『THE ELEPHANT KASHIMASHI』(1988)から6枚目となった『奴隷天国』(1993)に至るまで、エレファントカシマシの作品を貫く大きなテーマであったように思える。殊に、4枚目の『生活』(1990)以降には、自己と世間との間に隔てられた壁があった。『生活』では、鬱屈した自己のコンプレックスがきわめて反俗的に発散されていて、『エレファントカシマシ5』(1992)の頃になると、そのまなざしは少しではあるが世間へと向けられるようになる。しかしながら、両者の間にある壁は依然として隔てられたまま。そんな壁に穴が開き、八つ当たりとも言える自己が、銃弾のように飛び出してきたのがこの『奴隷天国』なのである。

 

パンク・ビートと、パワー・コードのシンプルながらもドスの効いたギター・リフに怒りの感情がぶつけられる「奴隷天国」。〈太陽の下 おぼろげなるまま 右往左往であくびして死ね〉、〈生まれたことを悔やんで 一生懸命同情乞うて果てろ〉というあまりに直接的な歌詞は、内に秘めてきたパワーが四方八方に散らばり、その流れ弾を受けたような痛烈な印象を残す。また、"我が友"の話に対する不満たる思いをぶつけた「絶交の歌」、あるいは"お前"に対して暑苦しさをもって皮肉する「太陽の季節」は、かなり2人称的である。つまり、自己完結的なこれまでの作品と比べ、直接的にそのメッセージが世間へと向けられているといえるのだ。

「ある日ある夜、友が酒を持ってわが家に遊びに来たが
もう絶交だよ。絶交だもう貴様とは。
貴様は言うだろう
明日こそは希望を持てと
俺は貴様に断言しよう
貴様はだめだ
せいぜい長生きしてがんばれよ。」(「絶交の歌」)

 アホウを旨とするお前の情熱
敗れ果てたる日々を
数えいとおしむ姿
暮らすだけなら
そりゃいつでも暮らせるさ
お前が作るこの世の晴れ姿... (「太陽の季節」)

 

そうしたスタンスはUSのパンク・バンド、Green Dayの作品である『Kerplunk』(1992)であったり『Dookie』(1994)あたりを彷彿させる。その頃の彼らの作品といえば、政治的なものではなく恋人であったりドラッグで鬱屈した日常が、不満たらしく歌われている楽曲が多くあった。ただ、それは軽快なパンク・サウンドゆえに、どことなくカラッとした印象があった。『奴隷天国』も同様、初期のGreen Day的な"軽さ"が感じられる。社会に対する不平や不満をぶつけるパンク・ロックのそれではあるが、そこからは政治的なスタンスは感じられない。どちらかといえば、友人とのいざこざ、無気力な日々に対する怒り、あるいは「俺がそうなったのは、全部この社会が全部悪い」と言わんばかりの理不尽な不満が、無駄をそぎ落としたバンド・サウンドに乗せられるだけなのだ。その意味において本作は、日本で進化を遂げたパンクの一つの到達点であるといえるのではないだろうか。

 

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Green Day - She

 

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Green Day - Burnout

 

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Green Day - 2000 Light Years Away

 

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