一本の映画を観たような感覚だった——。
エレファントカシマシ7作目となった『東京の空』で描かれるのは東京の空の下、繰り広げられる人間模様。一人称視点の情景はリリース当時の1990年代、あるいは現在にまで通じている。電車の窓から見えるのは密集した住宅街や工場、複雑に通った電線。駅を降りればガード下の隙間を埋めるように商店が並んでいて、しばらく歩くとビルが立ち並んでいる——。ただ、景色を構成する建物は目的や役割を果たしているだけで、それ以上のものはない。人間の方も資本主義の下、通勤電車に揺られ、あるいは渋滞に頭を悩ませ、ルーティンのような日々を送っている。本作の一曲一曲はそんな、どこまでも無機質で、けれども人間臭さに満ち溢れている"東京"をリアルに切り取った、"チャプター"の様である。
一曲目、「この世は最高!」。低音域と高音域の歪みを際立たせたサウンドに乗せて、世の中に対する諦めや、やるせなさが吐き出される。それはまるで、都会の喧騒や社会の理不尽、権力者のウソ、忖度など、日常におけるありとあらゆるネガティブな場面を切り取ったかのようでもある。続く「もしも願いが叶うなら」での情景は、車内へと移る。ビルの合間を縫うように、行く当てもなくひたすら走る。車窓から見える街の灯は、自分のことなど構わず、流れていっては消える。"どこか遠くの、知らないところへ行きたい"という願いはやがて、精神の領域へ。〈悲しみに震えた日々を悲しみに震えた日々を 振り払い何処までも走れ走れ〉と、現実逃避のような痛切な叫びとなって訴えかけてくるのだった。
表題曲「東京の空」では空が赤く燃え、灰がこぼれ落ちるようにだんだんと暗くなっていく様子が想起される。そうさせるのは、12分という楽曲の長さが、マジック・アワーのほんの一瞬の長さそのものであり、あるいはバンド・サウンドに絡みつくような近藤等則のトランペットが、「Friday Night Fantasy」のように黄昏時のノスタルジックな印象を与えるからなのかもしれない。「真冬のロマンチック」では、東京の乾いた冬の空気を、そのまま音像で描き出したようであり、「星の降るような夜に」では、静まり返った街中を、闊歩する様子が克明に想起させられるのであった〈歩こうぜ 歩こうぜ 星の降る夜に〉。
本作のエンディングとなる「暮れゆく夕べ空」。間奏に入る枯れたギターの音が、夕暮れ時に電柱のスピーカーから流れるメロディーのような哀愁を醸し出し、楽曲のカラーをたちまちオレンジ色に染め上げる。
暮れゆく夕べの空子供達が帰る頃
聞こえてくるだろう夕方の音が
夕べの空を背景に、子どもたちが家路に戻るころ、夕方の音が聞こえ始める。オレンジ色の空には黒いシルエットが点々と、遠くからはカラスの鳴き声が、近くの家からは夕飯を作る忙しそうな音が——。そんな情景が、この一曲には凝縮されて詰まっている。これらのチャプターが、一つの流れとなった『東京の空』。環境と音楽との親和性を感じられる、まさにサウンドスケープのような作品である。