まるで焼畑農耕で全てを焼き尽くした後に、新たな生命が再び芽吹いてきたような作品だ―。前作『生活』でみせた破滅的な情感の爆発。それから1年7か月というスパンを経て出来上がったのは、力の抜けたなんとも明快でわかりやすい作品だった。また、"メッセージのベクトル"に関しても変化が見えている。自己と世間との間に壁があって、その壁に一切目を向けることなく、逆方向に内向的にメッセージを発散させた作品が前作であるとすれば、そのベクトルはわずかではあるが、聴き手(世間)に傾きかけている。とはいえ、完全に世間との融和が果たされたわけではない。依然として、自己と世間は壁で隔たったままである。なんというか、窓の外の風景を横目ではあるが見始めた、という感じである。
そんな本作は前作からの、グランジのようにノイジーでシンプルなギター・リフは踏襲されつつ、全体的には60年代のクラシック・ロックのサウンドとリズムで貫かれている。たとえば「過ぎゆく日々」、リフ・コーラス・ヴァースと、全編を通して繰り返されるギターのフレーズは、Trafficの「Dear Mr. Fantasy」で随所に登場するギター・フレーズように曲にアクセントをもたらし、少ない音数かつ抑え目なミックスでも確実に印象を残すようなものとなっている。さらに「無事なる男」での、4ビートのドラムに歪みを抑えたベースとギターのサウンドは、Chet Atkins的な繊細さとグルーヴ感があって、サビでのキャッチーなノリはThe Beatlesの「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のメロディラインを再解釈したかのようでもある。
Chet Atkins - Yakety Axe
その影響は当時のUK/USのポップ・シーンにとどまらない。たとえば「おれのともだち」はアンプラグドに近いロック・サウンドで内包されつつも、そのコード進行やメロディラインは明治期の日本の唱歌である「故郷の空」のようである(厳密にいえばスコットランド民謡ではあるが…)。このスタンダードな曲、あるいは日本で生活していたなら必ずどこかで聴いたことがあるような、"既聴感"のようなもの。つまり、そこからは近代以降のある種土着的なキャッチーさが感じられるともいえるだろう。
唱歌 - 故郷の空
今作における明快さは、後年のポニーキャニオン期、あるいはユニバーサルミュージック期に顕著なエレカシのポップ・サウンドの片鱗がみえると言っていい。ただ、その影響下にあるのは、サウンドから歌詞に至るまでどこまでも"伝統主義的"なロックであり、"スタンダード"なポップスである。その点においてはやはり、90年代後半以降の彼らの作品とは一線を画す、いぶし銀のような作品であると言えるだろう。