三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

小5の夏休みに参加したトイレ掃除のボランティアがヤバすぎた話

あれは忘れもしない、小学5年の夏休みのこと。あるボランティアに参加した、というよりも参加させられた。その内容は、"学校のトイレ掃除"。そもそも、トイレ掃除をボランティアにするというのはどうもおかしくはないだろうか。というのも普通であれば、放課後に掃除当番がいて、毎日トイレ掃除なるものをやるはずだからである。例によって、筆者の通っていた小学校もそうしていたのだが、どうもこのボランティアでやるトイレ掃除は、ただのトイレ掃除ではなかった――。

 

夏休み前、担任の教師がボランティアを募ったが、誰一人として手を挙げる者はいない……。それもそのはず、小学生にとってトイレというのは恥ずかしいものであり、個室に入るだけで笑われてしまうようなものなのである。それだけではない。当時、築30年以上経っていた校舎のトイレがあまりにも汚すぎたのである。ましてや夏真っ盛り。進んで参加しようと思う人は、前世がゴキブリか何かではないかぎり現れないのも無理もなかった。失礼かもしれない。が、これは事実である。さすがにそれでは、学校のメンツ的によろしくないということで結局、保健委員と、自分を含めた野球部数名が、なかば強制的に参加させられることになった。こういう時というのはなぜか決まって野球部が駆り出されるのである。

 

ボランティア当日、朝早くに学校に集合すると、あれだけ参加を懇願していた教師の姿は見当たらない。代わりにいたのは、"心をきれいにする会"などという団体のメンバーたちだった。その代表者らしき人物は、我々の姿を見て、
「みなさん、おはようございます。今日はトイレ掃除を通じて、心をきれいにしましょう。さあ、頑張りましょう!」
などと言ってきた。な、なんだそれは。一気に宗教臭い。さすがにその時は、いくら子どもであるとはいえ、怪しさの感情が込み上げていた。なんておそろしい場所に来てしまったんだろうか――無論、自分の通う学校であるのだが、一刻も早く帰りたくなった。

 

何人かのチームに班分けされるやいなや、早速トイレへと向かった。その周辺からは既に、あいさつ代わりと言わんばかりのツンとしたアンモニア臭が熱気とともに漂ってきており、我々の嗅覚を攻撃してくる。これは防護服レベルものであった。自分たちの管轄区域は、校舎の中でも古い部類に入る低学年の男子トイレ。バケツと掃除用具を渡され掃除に取り掛かる。途轍もない臭気の中マスクもせずに、まずは薄いスポンジを使い、"素手"で便器を掃除していく。そう、素手なのである。今思うとかなり不衛生であったなぁと思う。百歩譲って自分の部屋のトイレならまだしも、誰が使ったのかもわからない30年以上経った便器である。これは潔癖症云々とかではなく、至極まっとうに不衛生である。年季とともに積み重ねられ、たまりにたまった汚れはそう簡単に落とすことはできない。やる気のない、ふにゃふにゃのスポンジにひたすら力を入れて、汗をだらだらと流しながら掃除をしていく。

 

ある程度便器の汚れが落ちたところで、床の掃除へ。こちらも教室の床を拭くような要領で雑巾がけをしていく。風呂場で使うような、長い柄のついたブラシでこすってはいけないのか、あるいは"スクラビングバブル"的な洗剤を使ってはいけないのだろうか。我々にあるのは、バケツに入った水と、雑巾だけなのである。一通り作業が終わると、班長的な人に確認してもらう。この世界の熟練といった感じの佇まいの女性である。
「もう一度。全然汚れが取れてない。はい、やり直し」
思いのほか、すごい剣幕でいわれた。小学5年にして社会の厳しさを知る。社会というのはなんと妥協の許されない場所なのだろうか。我々"衛生部隊"は再び、便器を洗う作業に戻った。やり直しをくらってヒーヒー声を上げていると、掃除が終わった他の班のリーダーと思しき男性が応援にやってきた。その足元を見てみるとなんと素足、驚いた。これからのトイレは素足の時代なのだろうか。彼の目は生き生きとしていた、しかもアドレナリン全開。
「僕はずっとこのスタイルなんですよ。なかなか気持ちが良いですよ」
ドン引きである。よく、子どもはキラキラしているなどと大人は言うけれど、間違いなくこの時は子どもの方がどんよりと、大人の方がキラキラしていた。

 

幾度のやり直しを経て正午頃、トイレ掃除は無事に終わった。便器や床は見違えるほどきれいになったが、アンモニア臭の方は依然として漂ったままで、消毒面に関してははたして本当にきれいになったのかはいささかの疑問が残った。トイレ掃除が終わると、ジャムパンと紙パックのお茶をもらった。そんな当時の記憶は、このあたりで途切れる—―。

 

ここから学んだのは少なくとも、世の中は効率ではなく、精神論重視であるということだった。なんとすばらしい日本の慣習なのだろうか――。で、肝心の心の方はきれいになったのかと言われれば、理不尽で鬱屈したものが心を侵食している。今思うと、こうしたボランティアを小学生に半ば強制的にやらせてよかったのだろうか。というのも、このボランティアがきっかけでトラウマになって潔癖症になったり、ボランティアに壁を感じるようになったりするかもしれないからだ。無論、当時の出来事をこうしてノスタルジックに記事にするような人間もでてくるかもしれないからでもある。ちなみにこの団体については、「トイレ掃除 NPO法人」と検索をかけると、見事にヒットしてしまった(ヒットしなくてもよい)。URLは載せないが、ご興味のある方はぜひとも確認をしていただければと思う。そもそも検索でヒットする団体と、この記事に登場する団体が同団体であるという確証は、全くございませんが……。

 

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