2018年のベスト・アルバム以外にも、こんな感じでこの年の音楽を聴くことができるのではないかと思って書いたのが、この記事です。2018年にリリースされたアルバムを3枚選んで、そこから共通項みたいなものを見出そうというものです。とはいえやはり、同じアルバムを何度も取り上げていると、今まで書いたことと似通ったようなことを書いてしまうもので、自分もまだまだだなと痛感するのでした…。
考えてみてほしい。すでにヒット曲があって、商業的に成功を収めているアーティスト。あるいは、リスナーから一定数の評価を得ているアーティストの新作が、セールス的に成功をおさめたときの要因を。それは彼らのネームバリューだろうか?それとも、これまで築き上げてきた功績の大きさだろうか?
確かに彼らは、世間で作り上げられた“地位”や“名声”という巨大なフィルターで、一定の“バイアス”のかかった評価をされてしまわれがちだ。だが、今回取り上げるアーティストは、少なくともそうではない。というのも、いずれのアーティストもそうしたフィルターを壊してしまうくらいの、開拓心のある作品を2018年の世に送り出したからである。そして、そんな彼らの作品をみることによって、別の文脈における“成功の要因”が浮かび上がってくるのではないだろうか。
ミューズは『Simulation Theory』において、彼らの代名詞でもあるディストーション・サウンドの代わりに、低音と高音が人工的に揺れ動く、カオスパッドを搭載したギター・ベースの実験的なサウンドを前面に出した。さらに、『The Resistance』や『Drones』に見られる、70年代のプログレッシブ・ロックのような曲の展開は封印され、今作では打ち込みに近いドラム・ビートの上で、シンプルに曲が展開してゆく。それは、スタジアム・ロックをやり続けてきた彼らが、スタジアム・ポップへと転換してゆくかのようにも見受けられる。キャリア20年を迎えようとする彼らの、まさに“新境地”である。
また、『Egypt Station』においてポール・マッカートニーは、かつてのノスタルジーに埋没することなく、新たな試みにチャレンジしている。それは、世間の作り上げたポール・マッカートニー像なるものを76歳にして、打ち壊そうとしているようにも思える。表題の通り、一曲一曲が駅のようになっていて、それぞれが全く違う風景をのぞかせてくれる今作。「Fuh You」では、シンプルな打ち込みのビートにポップなサウンドが乗せられ、「Back In Brazil」では、間奏部分に日本語の歌詞が登場する。そんな楽曲は、キャリア50年を迎えたとは思えないくらいの“新鮮な”メロディーセンスで彩られている。
日本においても、デビュー30周年を迎えたエレファントカシマシが『Wake Up』をリリースした。今作は、前作までのディストーション系から、ファズ系の重みのある音色へと変化した。さらに、レゲエの要素を取り入れた「神様俺を」や多重録音やコーラスを多用した「Wake Up」のような楽曲は、彼らのキャリアにおいては初の試みである。50歳の人間の諦めや、培ってきたキャリアの重荷を放り投げるように、“貪欲に挑む”。そんな今作からは“軽さ”すら伝わってくるのだった。
彼らは自身のキャリアや知名度に左右されることなく、常に新しいことに挑戦し続けている。今年リリースされた“ベテラン・バンド”の3作品からは、それがはっきりと伝わってきた。つまり彼らは、「攻め続けてきたからこそ、地位や名声を獲得できた」という、逆説的な見方ができるのではないだろうか。そして、そのときの彼らのまなざしというのは、結果として大衆性としてのメジャー音楽、カウンターとしてのインディーズ音楽という既成概念を壊しているようにも思える。地位や名声のフィルターを取っ払ったとき見えてくるものに、その差異というものは存在しない。どちらも同じ音楽であることには変わりないのだ。
世界的にストリーミングサービスがより一層の盛り上がりを見せた2018年、音楽を聴く環境はメジャー音楽であれ、インディーズ音楽であれ、さほど変わりはなくなってきている。そんなご時世だからこそ、音楽に対して偏見を持つことなく、今一度フラットな気持ちで音楽を聴いてみるのも良いのではないだろうか。