三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

悶絶!地獄の腹痛記録4日間

 事の発端は腹痛発症前日の深夜だった。同じ部屋の友達に呼ばれてロビーへ行ってみると、市場で買ってきたというブドウとビワらしき物が皿に盛られている。そこにはホテルの従業員の人達も一緒にいて、なんとも賑やかな感じになっていた。盛られているブドウを頬張って見るとタネはなく食べやすい。もれなく皮まで食べた。ビワらしきものは身を2つに割ってタネを除いてから食べるらしい。こちらも上品な甘さで食欲を刺激してくる。話が弾み、それに伴いついつい果物を食べ進めてしまう。さらに従業員共々、食べろ食べろと催促をするもんだからやめないわけにはいかない。それが後々大変な事になるとは知らず―。深夜の宴はそれとなく終了し、その日はすぐに床についたのであった。

 

 腹痛初日。起床後、腹部になんとなく違和感を感じる。腹の中に変なものが入ってきたことがわかる。『千と千尋の神隠し』のカオナシ湯屋の庭からひっそりと入ってくるようなあの不気味な感じである。思い当たるものは…昨日食べた果物だ…。そして、違和感は徐々に痛みとなって現れてきた。ここで、千尋が異界で消えそうになった時にハクが差し出したものと同形状の玉(正露丸)を飲むことにした。しかしながら、効果は皆無。これにはさすがのハクも困惑の表情を禁じえなかった。

 

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 腹痛2日目。腹痛と共に起床。共にというよりは腹痛に起こされた感じだ。腹の中に侵入した悪いものは、たくさんの人を飲み込んで傍若無人な態度を取り始めたカオナシのごとく腹の中で暴れまわっている。それに追い打ちをかけるように、この日はバスでの長距離移動があった。バスの中でひたすら痛みと格闘しながら目的地へと向かう。目的地に到着するや否やトイレに直行した。

 

 トルコの公衆トイレは和式が一般的で、座る方向は日本とは逆。使用したトイレットペーパーは便器に流さずに、備え付けのゴミ箱に捨てる。ほとんどは水洗のトイレではあるが、中にはホースで水を流したり、バケツで水を汲んで流したりするタイプのものもある。日本のトイレがいかに丁寧なおもてなしをしてくれているのかということに感服しつつ、腹痛との格闘をひとまず済まし、ふと洗面所の鏡で自分の顔を見てみる。トルコの強い日差しを受けて肌は焼けているはずなのに、顔色はひどく青白い。なによりもインフルエンザに罹った時のように、全身に力が入らない。これはいよいよやばい―。

 

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 コーディネーターの先生に腹痛の旨を伝え、病院に連れて行ってもらうことになった。行った病院は、コンヤ・バシュケント大学病院(Baskent University Hospital)。大学病院というだけあって、施設は広い。受付で持ってきていたパスポートを見せ、なぜか父親と母親の名前を聞かれた。施設内は人でごった返しており、診察の順番を知らせるディスプレイが壁にかかっていた。ぐったりしながら待っていると自分の順番になった。

 

 診察は具体的な症状について、いつから痛いか、下痢はしているか、嘔吐はしているか等を聞かれる。診察が一通り終わると、今度はあおむけになってどの辺が痛いか、指で腹部を推しながら聞いてくる。はい、全部痛いです―。続いて、隣の部屋に移動し治療(?)を行う。ハエがたかっている室内、医師は注射器らしきものを準備している。なるほど、点滴か、それとも腕に注射か。そんなことを考えていると突然、医師は尻を出せというジェスチャーをする。医師の勢いに圧倒されつつ尻を出すやいなや、左側の尻の筋肉(大殿筋)に注射が打たれた―。異境の地でこんなことをされるとは誰が想像できただろうか。注射を打たれた方の尻を脱脂綿で抑えるシュールな格好。情けなさと共に笑いが込み上げてきた。

 

 トルコの病院は衛生面に対する意識が日本と比べてはるかに低いように思えた(というよりも日本が清潔すぎるのかもしれない)。治療室にハエがいるのは普通であるし、診察料と処方箋をもらいに行くまでのオープンな感じといったらない。というのも、日本のように病室と廊下が、部屋と扉でしっかりと分けられているわけではなく、廊下の両サイドに病床がダイレクトに存在している。しかもドアというドアはなく、すべてが筒抜けといった感じだ。診察料と処方箋料は合わせて90リラ(日本円で1800円くらい)。どうやら病院によってこれらの値段は変わってくるようだ。

 

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 腹痛3日目。この日はアンタルヤというトルコ有数のリゾート地へ向かった。依然として腹痛は収まらない。しかしながら、3日目にもなると痛さに周期がでてくる。我慢できるくらいの痛さと、立っていられないくらいの痛さが繰り返してやってくる。最初に訪れたのはマナウガト(Manavgat)。バスクリンを入れたような、なんていう貧乏くさい形容のとおり、きれいなエメラルドグリーンをした滝はここぞとばかりに観光客をひきつける。記念撮影の応酬、どこもかしこも写真写真写真。さすがの自分もこれは自撮りをするチャンスだと思い、精一杯楽しそうな顔をしてみた。するとそこには蝋人形のような表情をした1人の男が写っていた―。

 

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 昼食を取ったのち、休む間もなく今度はマナウガトの浜辺へと向かう。さすがはリゾート地、貫禄の絶景。しかしながら、海に入ることはできずパラソルでうなだれているばかり。海ではしゃぎまわり、テンションの上がった友達が「泳ごうよ、海に入ったら具合悪いのなんて忘れるさ」なんていってくる。いやいや、忘れるどころか死んでしまいますよ―。

 

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 腹痛最終日。長かった腹痛もいよいよクライマックスを迎える。カオナシでいえば、飲み込んだものを吐き出し、もぬけの殻状態である。痛みの周期は徐々に長くなり、耐えられるくらいの痛みにはなってきていた。ただ、腹痛との戦いの壮絶さを物語るかのように、バスに映る自分の顔色は依然として悪いまま。コンヤから本拠地であるネブシェヒルへ戻る車内で、腹をさすりながら考えた。改めて腹痛の原因は何だったのだろうか。4日前に食べたブドウについた農薬か、それとも何らかの寄生虫が入っていたのか。いずれにせよ果物(生もの)の食べ過ぎは良くない。日本人として胃腸の脆弱さに嘆くとともに、腹痛がとんでもないくらい辛いものだということをこれでもかとばかりに知ったのであった。

 

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