成田空港から約12時間、イスタンブルのアタトュルク空港に到着した。無事トルコに到着したと安堵するのも束の間、早速、サマースクールのスタッフを探さなくてはいけない。日本人は他にもいるはずであったが、それぞれが別の席に座っていたためか、見つけることはできなかった。仕方なくひとりで、空港内をうろうろしてみる。一体どこに集合すればいいんだろうか。今一度、確認メールの本文の方に目を通してみても、その情報は見つけられなかった。しかも、日本発のトルコ便は本来、前日の夜に出発予定だったが、トラブルの影響でキャンセルになり、次の日の昼過ぎの出発にずれ込んでしまっていた。それが現地側にもしっかり伝わっているといいのだけれど......。
時刻は、現地時間で午後11時半を回っていた。到着口から道なりに歩いてみると、パン屋や軽食屋が軒を連ねるエリアに差し掛かった。すると偶然にも、コーヒーショップのテーブルにサマースクールの旗が見えた。そして、それらしい一行が、そこでなにやら慌ただしく電話をかけたり、その辺を行ったり来たりしたりしているではないか。スタッフの一人が自分を見つけるなり、「ユヌス・エムレ?」と聞いてきた。ユヌス・エムレというのは、正式にはユヌス・エムレ・インスティトュースといって、トルコ大使館文化部の呼称のことである。筆者は偶然にも、ここが主催するサマースクールに参加することができた(詳しいことは、下に載せた記事をご参照あれ)。サマースクールは一カ所ではなく、まずは初めの3週間、トルコ各地域に散らばって行われる。それぞれの地域が20〜50人のグループで分けられていて、なるべく同じ国の人間と被らないように配慮されているとのことだった。
店のイスに腰掛けていると、他の日本人も続々と到着し始めた。それぞれに行き先を聞いてみるとやはり、それぞれが別の地域で過ごすようだった。ふと他のテーブルを見てみると、アフリカ人と思しき一行が目に入った。彼らもまた、我々と同じように同じ国の人と固まり談笑している。人は普段住んでいる場所から遠く異国の地へと離れたとき、同じ国の人間を見つけると不思議と安堵感があるというが、ふと自分にもそれと似た感情が湧いていることに気がついた。突然、誰かの名前が呼ばれた。それが自分の名前だと分かったのは、2回目に呼ばれたときだった。トルコ人にとって、日本語の発音というのは難しいのか、ややおぼつかない感じではあったが、その声の輪郭は確実に自分の名前を形成していた。隣に座っていた黒人の中からも2人呼ばれ、我々はスタッフについて行く。ついに、日本人という共同体からも離れる——。その瞬間私は、本当にトルコに来たという実感が湧いたのだった。
スタッフに連れられ黒人2人と私は、空港を出て停められていた車に乗る。これからホテルに向かうとのことであった。車内で黒人2人と話していると、彼らはソマリア人であることが分かった。名前は、アンワルとシュレーマンと言った。どちらも顔が小さく、手足が長くてスタイルがとても良かった。アンワルの方はファッショナブルで、シンプルな灰色のパーカーを、これ以上ないくらいカッコよく着こなしていた。シュレーマンはというと、本国で選び抜かれた秀才という感じで、白いTシャツをこれまたモデルのような佇まいであった。そこに、日本から来たしょうもない不届きものが一緒に座っている。なんという光景だろうか。ソマリアという国に関しては、かつて"ソマリア海賊"の動向が日本でもニュースに取り上げられていたことで、その名前くらいは知っていたが、その国の人に実際に会うのはもちろんこれが初めてだった。
彼らは大学でトルコ語を専攻しているらしく、英語よりもトルコ語の方を上手に話した。一方私は、トルコ語に関しては、日常会話がギリギリだったので、投げかけられる質問に、英語とミックスしながら答えるのが精一杯だった。ホテルに到着するやいなや、スタッフに腹は減っていないかと尋ねられる。我々はノーと伝えたが、なぜかホテルの敷地内にあるレストランへと連れて行かれた。スタッフが店員に何やら伝え去り、しばらくすると、コカコーラとポテトが付いたハンバーガーセットが運ばれてきた。思わぬ夜食に、一同顔を見合わせ「なんで?」という困惑の表情になった。我々は、早く休んで次の乗り換えの便に供えたいのに......。時刻は午前1時を回っていた。Hassiktir(ハッシクティリ)——トルコ語でいう"なんてこったい"、あるいは"Shit"を表す言葉が、早々に登場する運びとなった。汚い言葉というのはときに、"世界の架け橋"になる。Hassiktir、Hassiktir、Hassiktir...... いつの間にか我々は、打ち解けていた。
ホテルに戻り、部屋に向かう。時刻はすでに午前2時になろうとしていた。私は、4時半にロビーに集合することになっていたため、シャワーの時間を入れれば、実質的な睡眠時間は2時間と言ったところだった。シャワーを浴び終わったシュレーマンが、白い布を床に広げた。ソマリアはトルコと同様にイスラム教徒が多い。彼もまたイスラム教徒で、イスラム教との着る白いローブに着替ていた。正座に近い姿勢になりコーランを読み上げると、しばらく床に伏せる。イスラム教徒は1日5回、決まった時間に祈りを捧げるという話を聞いていたので、本当に毎日そうするのか彼に聞いてみると、本当はそうした方がいいけれど、自分は1日1回、寝る前に行うと言っていた。彼の所作は、まさに物心ついた頃からやっていることといった感じで生活に溶け込み、美しささえ感じた。イスラム教の祈りを見たのは、この時が初めてであった。ほんの僅か眠りについたのち、私は乗り継ぎ便に乗るために、熟睡中の2人を残して部屋を出た。彼らには、また会うことができるだろうか——。