三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

エレカシの「浪人時代」と自分の「浪人時代」を重ねて―『ココロに花を』を通じて

 大学受験に失敗し"浪人生"をやっていた時期が自分にはあった。自分の浪人生活というのは寮生活で、自室には参考書以外はほとんど持ち込んでおらず、入試が近づいてくるとさすがに気が滅入ってきていた。朝夕がぐっと寒くなり、雪がちらつくようになった頃、息抜きがてら予備校の近くにあったレコード屋にふらっと立ち寄ってみた。邦楽のロックのコーナーに行ってみると、でかでかとエレカシが特集されていた。数あるエレカシのアルバムの中で一番最初に目にとまったのは『ココロに花を』。タイトルとジャケット写真に一目で惹かれたときには既に手が伸びていて、店のレジに並んでいた―。

 この作品は、前作『東京の空』よりもさらにポップな印象の曲が並ぶ。歌詞に関してもこれまでの文語調のような言い回しではなく、分かりやすい言葉が使われており、宮本が自身の姿を牙をむくように"顕示する"ことよりも、聴く者に"伝える"ことの方に専念しているのが見受けられる。作品に当時の作者の心情や境遇が反映されているとすれば、そこには作詞作曲の大半を行った宮本の思考があるともいえる。例えば、

〈明日になればまた陽が昇るだろう
僕らの夢もまたひとつ新しい
どんな悲しくても
日々の中へ消えてゆく
そうさ このままゆこう
日々の中流されてゆこう〉(『流されてゆこう』より)

陽が昇りまた沈む、そうした普遍的な日常に身を任せ、逆らうことなく"自然体"で生きてゆこうというのである。ほんの数年前までは社会に反抗し、

〈太陽の下 おぼろげなるまま
右往左往であくびして死ね
オロオロと何にもわからず
夢よ希望と同情を乞うて果てろ〉(『奴隷天国』より)

と毒を吐いていた男がこれ程までの変化を遂げたのだ。思えば前作からこのアルバムを出すまでの間、エレカシはレコード会社との契約を切られており、彼らも自分と同じように"浪人生活"を送っていた。新境地に至ったのは現在の状況を打破し、純粋に"売れたい"という一心の末の決断だったのだろう。契約切れ真っ只中の1995年6月21日に下北沢SHELTERで行ったライブでは、宮本は長い髪をこしらえ、「イエーッ!」を連呼していた。その変貌ぶりに観客は終始戸惑っていたという。社会に対して反吐をはいていたような人間が急に社会との柔和を試み始めたのだから無理もないだろう。おそらくその時期には、世間に対して"反抗的"な態度をとることではなく"自然体"で世間と向き合うことが果たして本当の自分のあるべき姿であるのか、という"葛藤"が少なからずあったはずだ。

 今まで「○は□である」とされてきたことが「○は△である」ということに変化するのは伝統や慣習、その他諸々の障害によって簡単には世間からは認められない。かといって、それに恐れ、一切の変化をしないままではその時点でマンネリ化が始まり、面白みのないものに成り下がってしまう可能性もある。自分の殻を破って出てきたものが結果としてどうであれ、宮本は変化することを選んだ。ただ、その際に宮本を支配する根源的なものまでもが変化していたら、エレカシの音楽を聴く者はその浅はかさに辟易し、離れていってしまっただろう。だが、変化してもなお自分の根源を貫く心棒のようなものが宮本にはあった。いくら髪が伸びたって、曲調がポップになったって"ロック"を体現しようとする宮本の姿は髪を逆立て絶叫し、世間に対する不満を吐いていた頃のままなのだ。1995年の"変化"以降レコードが売れ、今現在も音楽界の第一線に君臨し続けているのがその証である。そうした"変化"に対する当時の宮本の"葛藤"が、そのまま『ココロに花を』にも映し出されているような気がしてならない。

 『ココロに花を』は、レコード屋で何となく手に取ったようなアルバムだったけれど、このアルバムを聴くたびに不思議と元気が出た。それは重圧やネガティブな考えが払拭され、暖色系の色とりどりの花がパッと咲くような感覚だった。ジャケット写真は緑の木々の葉でびっしり覆われ、一輪の花すらないけれど、これを聴いた後はその名の通り、自分の"ココロ"に一面の"花"が咲き誇っているようだった―。それほどまでの感覚にさせられたのはひょっとすると、知らず知らずのうちにアルバムの楽曲を作り出した当時の宮本の境遇と、浪人していた当時の自分の境遇がリンクし、共感できていたからだったのかもしれない。

 浪人生活が終わって数年が経ったが、『ココロに花を』を聴いているとふと、浪人時代の日々が蘇ってくることがある。蘇ってくる日々に悪い印象はない。進路に際して、迷い悩んだ末に出てきた"葛藤"でさえも良い思い出として残っている。それは、選んだ道は自分で決めたのだから、たとえそれが失敗しても間違いであっても何の悔いもない、というようなどこか"自然体"で"運命"に任せた感じである。『ココロに花を』はそんな思い出に寄り添い、優しく撫でるようにしてあの頃の苦労をねぎらってくれるのだ。【ほぼ日刊三浦レコード30】

 

f:id:xxxtomo1128xxx:20180316225308j:plain