「桜の花、舞い上がる道を」は、『昇れる太陽』(2009)に収録されている。アルバムのクライマックスにふさわしい、壮大な曲といえるだろう。宮本の華があって力強い歌唱には、ストリングアレンジが映える。この曲では宮本の歌唱力の高さをうかがうことができる。最高音までファルセットを使わずに張り上げるように地声で歌うというのは、到底常人ができるような業ではない。
"桜"と言えば日本の象徴的な花だけど、満開になったかと思えば、風が強くなったり、雨が降ったりすると一気に散ってしまう。本当に儚い。花びらの色は淡くて、穏やかな春の陽気にぼんやりとしたピンク色の輪郭を作り出す。家の近くにある川には桜の木が並んでいて、春になると川を架ける橋から桜が満開になっているのを見ることができる。そのときばかりは立ち止まり、暫しの間その風景を見て、仕舞には写真なんかも撮ってしまう。自分は"期間限定"という言葉に弱いけど、桜はそれを見事に体現していると思う。
そんな淡くて儚く散ってしまう"桜"の歌というのは日本中にここぞとばかりに溢れかえっているが、この曲はちょっと視点が違う。というのも桜を背景にして、一人の人間が奮い立つような感じが表現されているからだ。桜が散ってゆくことの儚さではなく、舞い上がる力強さで表現されている。
でも例えりゃ人生は花さ 思い出は散りゆき
ああ 俺が再び咲かせよう
思い出は散ってしまうけれど、また再び咲かせるのが人生である、と高らかに歌う。
桜が町彩る季節になるといつも
わざと背を向けて生きてたあの頃
やってられないそんな そんな気分だった
桜の季節になると花粉症のせいかもしれないけど体調が全然すぐれないし、憂鬱な気分になってくる。そんな訳でこの部分の歌詞に関しては非常に同意できる。春は全然好きではない。この曲は新生活を迎えようとしても何となく憂鬱になっている自分のような人間に喝を入れ、後押ししてくれる。
サングラス姿の宮本が写真の半分以上を占めるという、もはやインパクトしかないジャケット。ちなみに『昇れる太陽』は、ファン以外の人にもお馴染みの、ラジオで「食べにくい」と言われ激高した事件のときにプロモーションしていたアルバム。それのせいなのか(?)売り上げは好調だった。