三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

12月の雨の日 / はっぴいえんど

この曲が作られた1969年というのは、安保闘争や東大安田講堂事件なんかにみられる「反体制」の混沌とした時流に乗せて、フォークとロックがそれぞれのジャンルで世間と対峙する、そんな時期だった。ロックというジャンルにおいても今とは別の混沌を極め、ちょっとした悶着すら起きていた。その悶着で有名なのが「ロックというジャンルを日本語で歌うか歌わないか」であった。今では考えられないが、その時代というのはグループサウンズが流行し、The Beatlesのような格好を真似したアイドルのようなバンドや、リーゼントに革ジャン姿で歌う当時の不良の象徴みたいなバンドが世間を賑わせていた。

 

彼らはいずれもイギリスやアメリカのやっている音楽こそロックだとし、彼らに追いつかんと英語で歌っていた。そんな中、はっぴいえんどは「日本語で歌うこと」を積極的に行ったバンドであった。それは当時としてはかなり異端だった。そのためセールス的にはあまり伸びず、このバンドが評価されるようになったのは解散後、メンバーの各々の活動が認められるようになってからである。

 

「12月の雨の日」はメロディー1音1音に日本語が丁寧に当てはめられている。そのため歌詞が水のようにすーっと入ってくる。そしてその情景というのは雨上がりの一瞬の風景が切り取られていて本当に美しい。

水の匂いが眩しい通りに
雨に憑かれた人が行き交う
雨上がりの街に 風がふいに立る
流れる人波をぼくは見ている 

「つかれた」を「憑かれた」にしたり、「ぼく」を「僕」としなかったりしたのもどことなく意図的なものを感じ、それが詞に均衡を与えているような感じがする。また、具体的な表現を排除したことで自分の経験則にあった情景を聴く人それぞれに喚起させる。「雨上がりの街」というのも都会のビジネス街なのか、少し寂れた商店街なのか―。日本人特有の「曖昧な」感性が、これまた「曖昧」な表現が多用される「日本語」で緻密に描かれている。そこには「日本人が、日本語を使って良質な音楽を作るんだ」といった気概すら感じられる。

 

平成の時代になってもはっぴいえんどの音楽は聴かれている。というよりむしろ当時よりも取り上げられる機会が増えている。スピッツは「12月の雨の日」をカバーした。そのカバーは曲調から歌詞まで驚くほど彼らと合っていた。時代は違えど、同じ日本語で勝負しているバンドとしてどこか通じるところがあったのだろう(最近だとサカナクションが「風をあつめて」カバーしているのをCMで聴いた。これも中々よかった)。はっぴいえんどの作り出した音楽は時代に左右されることなく、今もなお後世のバンドに脈々と受け継がれている。【ほぼ日刊三浦レコード7】

 

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