三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

また逢う日まで / 尾崎紀世彦

レコード大賞かなんかの授賞式で「また逢う日まで」を歌った映像を観たことがあるが、その時の尾崎の歌唱というのはダイナミックなホーン隊の演奏に全く負けない割れんばかりの声量で、画面越しでも圧倒された。冬の寒い日に、突如として太陽の日差しが差し込んで暖かくなることがあるけど、まさにそんな歌唱だった。尾崎は太陽のようなエネルギーを放ち、一瞬にして会場の空間を明るくさせていた。本当に歌が上手いなと思った。それは「有無を言わせずに上手い」と納得させられる程だった。

 

しかしながら、そんな一瞬にして場を明るくさせた「また逢う日まで」はあくまでも別れの歌である。別れというのにも色々あるが、その中でも男女間の別れの時というのは、簡単にはうまく解消できず、お互いの溝が深まってしまうこともある非常に厄介なものである。この曲はそんな別れに際した男女のお互いの心模様が描かれているが、尾崎はそれをポップな曲調に乗せて、悲しい顔一つせずのびやかに歌っている。そんなもんだから「2人でドアを閉めて 2人で名前消して その時心は何かを話すだろう」なんていう歌詞も、別れることに気持ちの決心がつき、どこか吹っ切れたように聴こえてくる。

 

「その時」というのは、おそらく1番と2番、それぞれの冒頭の「逢える時まで」であろうが、「逢う時」ではなくて「逢える時」というのがいい。何というか偶然ばったり会ってしまったとか、しょうがなく会った暁には、関係の修復なんていうのはおそらく言語道断だろうから―。会える時になるまでというのは、別れた理由はもちろん、お互いに一切の干渉をしたくはないという関係性があって非常にさっぱりとしている。

 

誰かと別れるというのは確かに悲しいことだけれど、それだけではなく新たな一歩を踏み出すきっかけにもなる。この曲ではそれが尾崎の力強く、太陽のように明るい歌唱によって、いい意味で「軽やか」に表現されている。今でも色褪せることの無い名曲である。【ほぼ日刊三浦レコード6】

 

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